最後に兄に会ったのは、3年前の母の誕生日祝いであった。
まぁそもそも我が家はあまり家族仲が良い方ではない上、私が父と絶縁しているのでますます会う機会がなくなっていたのである。
昨日も書いたが、兄が結婚する事になった。
・・・と言うのでフィアンセを連れて来たのだが、
「いつ結婚するの?」
「んー??そうだねえ。」
「結婚式は?」
「何かできたらいいけどねえ。」
と兄らしい宙ぶらりんであった。
まぁ別に兄らがいつ籍を入れようが私の生活は揺らがないが、兄が結婚するという事実には大いに気持ちが揺らいだ。
それは例えれば、エルが妊娠するぐらいの驚きである。
「あり得ない」、最初の感想はその一言に尽きる。
なので、兄のフィアンセと会うのは、何かいけないものでも見てしまうような不安があった。
念のため、兄の結婚が嫌なのではない。
するとは全く思っていなかったのである。
単純に驚いた。
それがまた、非常に素晴らしい女性を連れてきたからまた驚いた。
この日は母の誕生日祝いも兼ねていたのが、彼らは南国風の大きな花束と、母がアフガニスタンで働いていた頃がそのまま舞台になっている小説、洒落た扇子をプレゼントしていた。
私は金券ショップで買ったタクシーチケット(クシャクシャのヤツ)を、若い頃に買ったレターセットの残りひとつの封筒に無造作に入れて渡しただけであった。
しかも兄らは私たちにもクッキーをお土産に持ってきてくれた。
兄だけならこんな気の利いたことはしなかっただろう。
ぬかった、彼にはもう立派な嫁はんがいるのだ。
恥ずかしい。
私、寸前まで寝てましたEE:AEB64
兄の名前は「琢(たく)」である。
高校の時、修学旅行のしおりに載った名簿に「豚」と書かれて憤慨していた事があったが、そういえば中学の時の修学旅行には、寝坊して後から遅れて行った事もあったな(笑)
仲間うちでは兄の代、私の代にも兄は「たく兄」と呼ばれ、私は「たくいも」と呼ばれていた。
・・・という話をしていて、矛盾に気付いたのだ。
これでは「たく」と「ぽ子」の間に、もうひとり「たく」がいるみたいじゃないか。
すると兄は、「実は俺の下にはもうひとりタクがいたんだけど、死んじまってね・・・。」
いねーから(笑)
どうせ兄がこのブログを見る事はないだろうからついでに書いちゃうが、と言うか、これが書きたくて兄の話をつらつら書いているのである。
Pに行ったときの事を、私はその後、少々思い出したのだ。
ファミレスで4本ほどワインを空けてから久米川の「P」に移動したのだが、しばらくすると兄がトイレに行ったまま戻ってこない事に気がついた。
あまりにも遅いので、吐いてるか寝てるかしてるんじゃないかと思い、とりあえず外からドンドンドンEE:AE4E5とドアを叩きまくってみた。
返事はない。
ヤバいか。
嫁サンに聞いても「大丈夫ですよ~EE:AE5BE」とケロッとしているのでしばらく待ってみたが、とにかく出てこない。
このままだと他のお客さんが入れない。
私はもう一度ドアをぶったたいたが、反応がない。
こりゃ潰れてるな、と確信し、私は鍵をこじ開けてドアを開けた。
兄は普通にズボンを下ろして座っておった。
ハハハ、そうなのだ、Pのトイレは便器からドアまでが遠い。
ノックの返しようはないし、ウEE:AE4F5コ真っ只中にドアを開けられてもどうにもできないのである。
トイレから出てくると兄は、「ウンコしてたらドアが開いた・・・。」とだけ言った。
すまんの~、まさか酒飲んでウンコする人がいるとは思わなかったのだよ。
少なくとも、自分はない。多分。酔って覚えてないだけかもしれないが。
母が兄の演奏を聴きたいと言っていたのでたくさん聴かせてあげたかったのだが、なぜか兄はしまいにはボリュームを絞ってしまい、ほとんど聴こえないようにしてしまった。
なぜ本職なのに、ここへきてそんなにシャイになるのかが分からない。
あんなに下手なのに弾いてる私と、本当に血は繋がっているのだろうか。
それでもみんな、楽しんでくれたので良かった。
店にはまた迷惑を掛けてしまったが・・・。
たくさんのありがとうとごめんなさいで、この日も終わっていったのである。