切手の整理を始めようと3つの箱を持ってきたのだが、その中のひとつは切手ではなく、切手を外した後の手紙の方であった。
手紙は全て、亡き母から貰ったものだった。
気まぐれに切手を集めたいと言ったところ、母が大量にくれたのである。仕事柄、また趣味の関係から手紙のやり取りが多く、家にはいつもたくさんの手紙が届いていたのだ。
これを貰ったのは、もう10年ぐらい前になるだろう。この残骸も、記憶に残っていなかったぐらいだ。
切手を切り取った状態のもので、50~60通ぐらいはあるか。
これはもう、不要だ。必要な部分である切手はもう外されており、いわゆるダシを取った後の昆布のようなものだ。
しかしダシで言えば、私はケチなので残ったカスも極力食べる。
そしてこの手紙のカス。
・・・もう受取人はこの世にいない。そして恐らく、差出人のほとんども。手紙は70年代前後と思しきものが占めていた。
読んでしまえEE:AEB80あわよくばドラマティックなものが発掘されないか。
真面目な母の意外な一面が見られたりしたら面白い、なんなら浮気のひとつでも見つかれば痛快だ。
結果から言うと、面白くもなんともないので数通読んでやめてしまった。
多くは趣味の短歌の本にまつわるもので、母の本の感想、逆に母へ送った本の母からの感想に対するお礼で、どれもやたらに長文であった。
それでも一応、封筒から中身は全部出した。
写真がいくつかと未使用の切手が1セット。これだけが手紙以外のものである。
しかし、面白いものもあるにはあった。
もうずいぶん前に亡くなった、母方の祖母からの手紙(事務的なものであった)。
父が旅行先から送ったらしい父方の祖母への手紙。こちらの祖母が亡くなったのは、私が小学生の低学年だったと思う。祖母の名前を忘れかけていたことを知った。
住所はどちらも、私が「実家」と呼んでいた住まいよりも前のもので、中には「そこに住んでいたことは知っているけど記憶にはない」住所もあったのだ。
不思議な感覚である。
その一番古い住所には、父がやはり旅行先から送ってきた絵ハガキが何枚かあったのだ。
母宛てのもの、また小さな子供だった兄宛てのもの、そして恐らく赤ちゃんであった私宛てのもの。
父は、およそ元の名前の想像もつかないような「かいたん」という謎の愛称を私につけていて、ハガキにも、およそ私だとは見えもしない雑な似顔絵のイラストと共に「かいたんはお元気ですか」などと書かれていた。
家族はこの後、経済的に困ることはなかったが、絆としては波乱万丈な運命を辿ることになる。
短い蜜月の期間である。
手紙は、古紙回収に出した。もうその住所にその名で住んでいる人はいないはずだ。
父の絵ハガキだけ、残しておくことにする。
その後の運命を知らない、純粋に家族への想いが溢れるものだ。
それは一度は失われたと思ったけど、本当はずっとここにあったのかもしれないと気づきつつある「かいたん」であった。