「子育てに失敗したようだ。」
生前母が、妹である叔母に宛てた手紙にあった言葉だ。
母が亡くなり、叔母は母からの手紙をまとめて私に送ってくれたのだ。仲の良い姉妹だったようで相当な量の手紙が残されていたらしいが、いくらか厳選してあったものを私に託したのであった。
人に宛てた手紙を読むのは気が引けたが、もうこの世にいないのだ。母のことも知りたい。
しかし期待したような秘密めいたものやぶっちゃけた本心のようなものは、書かれていなかった。
その中での「子育てに失敗したようだ。」である。
母が亡くなる3年ほど前から、色々あって関係を断っていたのだ。
それ以前と思われる手紙には、「ぽ子が良くやってくれるので助かっている」などと書かれていたが、どうやらこれは関係を断ってからのもので、「全然顔も見せない」とこぼしていた。
まぁ親不孝をしたのだ。これぐらいのことは覚悟はしていたが、失敗、か。
厳格な人だった。
母の願うような生き方は、私にはできなかった。
最後に振り返った時に、それは母の「失敗作品」として残ったのだろう。
そうは言われても、何度やり直したところで私の人生は失敗作品にしかなり得ない。私はこれで良かったと思っているから。
こうなるより他になかったと思っているから。
私は、娘に謝ったことがある。
彼女を産んだのは、私が22の時。
まだ若く、放蕩で、自分勝手に生き、ずいぶん振り回してしまった。
やり直せるものならやり直したい。
至らぬ母だった。ずいぶん我慢を強いたと思う。
酔っていたこともあり、謝罪はもはや懺悔の形相を挺していた。
彼女はすこし怒った。「そんなこと言われると、今の私が否定されてるみたい。」
私が子育てを悔いると言うことは、今の娘に満足していない、ということになってしまうことを知った。
「子育てに失敗したようだ。」
厳格で心の通じ合わぬ母と過ごしたあの頃は、私にとって辛いものだった。未だに恨みのようなしこりが残っている。
それでももしかしたら、私のことを失敗作品などとは思っていなかったのかな、と気が付いた。
「ゆっくり話がしたい。」
最後の入院で再会した時、言葉もとぎれとぎれに母はそう言った。
話ができていたら、母は何を語っていただろう。