人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子53歳。

 

<拍手機能について>拍手機能を外部から追加しましたが、反映するまでタイムラグがあるようです。励みにしてますので、ご理解いただいた上でポチっていただければ嬉しい限りです。よろしくお願いします。なお、拍手機能はスマホ版に表示されていないようで、使用できない方には申し訳ありません。

[古日記]No.2 S61.12.24~S62.2.6

2冊目の1ページ目にも、やはり歌詞が書かれていた。

こちらはLOOKのマイナーな曲で、当時とても好きだった曲である。「追憶の少年」。

PVも良くてねぇ・・・。というと感動的な美しいものを想像してしまいそうだが、「みんなのともだちロボットくん」みたいなのとメンバーの交流である(笑)

あぁ懐かしい。今度カラオケで歌おう。

さて、私は相変わらず良く寝ている。

一応家事手伝いをしているので朝食を作るという使命があるはずなのだが、しょっちゅう起きれずに「起きたら夜だった」などとほざいていた。

そのくせ手伝っている家事のことをいっちょまえに「仕事」などと書いており、「どう考えても手伝い以下だろ。」と突っ込みを入れたくなる。

ちなみにその「手伝い以下」の詳細は、朝食作り・片付け(私と母の分)、昼食作り・片付け(私と母の分)、夕食作り・片付け(その日いる人の分)、洗濯、他、その日その日でこまごまとしたことを頼まれる感じだ。

日給、千円。

金がないと困るだろうという配慮からか、何をしでかすかわからないという恐れからか、このような待遇となっていた。

テレビは「風雲たけし城(好きだったなぁ~~)」、「パパはニュースキャスター」、「いい!かもしれない」、いい!かもしれない!?記憶にないぞ、なんだそれは。

「ビーバップハイスクール」「ビーバップハイスクール2」は映画か??

これはコミックの方が好きで、買っていた(笑)

「コラ」というのはお父さんが子供を叱る時に言う言葉であったが、これを読むと意味合いが変わってくるんだぞ、コラ。

驚いたことに、所沢の「百味」で飲んでいた(笑)そのお店、この間ダンナと行ってきたよ、まだあるよEE:AEB64

そして、前回電話が来たことで驚いた祖母であったが、今回は遊びに来ていた。

私の記憶の中の祖母は、もうボケ始めていたおばあちゃんだ。幼かった娘ぶー子にキャッチボールをさせられていた、無力な祖母である。

寝れるだけ寝て、時々家事をやり、友達と会い、元カレと遊ぶ。

何して遊んでるのかというと、パズルとトランプだ(笑)

親との関係はこんなんでもひどく悪くはなかったようだ。時々仲良く話し込んでいる。

しかしイコール現状を良しとしている訳ではなかったようで、親同士の間では衝突が絶えなかった模様。

まぁそもそも仲が悪くしょっちゅうケンカをしており、冷戦状態ののちに父がケーキを買ってきて母が許す、というのがお決まりのパターンであった。

しかし母としてはこの「ケーキで許されると思っている」という根性も我慢がならないと言っていたが、どうせ話して分かる相手でもないし、仕方がないというだけのことであった。

で、日記の中でもケーキが登場していた(笑)

「お父さんがケーキと刺身買って帰ってきた。そういえばお母さんとケンカしてたもんなぁ。」と、子供にも夫婦の事情、バレバレである。

そして翌日の「お父さんとお母さん、カニで和解」の文章によって、今回は母がカニまで粘ったことが分かる。

ところが続きがある。

そのカニの晩、私は酔った父と話をしているのだが、その時に「学校へ行け」と言われ、嫌だと言っている。

私はもう高校は中退していたので、来年度から新たにどこかへ入学しろ、という意味だと思われる。

この時の父は別に怒りもせず、普通に話をして寝たのだが、翌日母とまたケンカになったらしい(笑)

「ぽ子を学校に行かせろ!」

「本人が嫌がってるのに無理でしょう!」

とやりあっている間に、私がノホホンと外から帰って来るのである。

今思えば、父の気持ちは分からなくもない。

父ももっと上手くやれば賛同を得られたのではないかと思うのだが、いかんせん「俺がこうだと言ったらお前らは黙って言うことを聞けばいいんだ」というスタンスなので、反感を買うのである。

実際私も、そんな父の言う通りになりたくなかった部分も大きい。

かくしてカニは無駄となったのであった。

その後どうなったのかは書かれていないが、冷戦状態ののち、ケーキでも買ってきてなんとなく収まったのだと推測する。

そんな重大なことを1冊の中でサラッと一日だけ書き、あとはダラダラと過ごしていた。

そういえば、「貧乏なのでボウイのアルバムはこの1枚しかない」と前回書いたが、今回の日記に、兄が1枚買ってくれたと書いてあった。

しかし現物が記憶にないので、本当に買ったのかどうか怪しい。

昭和61年冬、ぽ子18歳。

ボウイはまだ現役で活動していた。