お誘いがあったのは、去年の5月30日。最初のコロナ自粛期間、真っただ中であった。
とある曲のキーボードの弾き手を探しているという誘い文句だったが、その曲はちょっと特殊なジャンルであり、そのジャンルが好きであると知っていた前提での誘いである。乗らぬ訳がない。
もちろん曲を聴いて「弾ける」と判断してのレスポンスである。
2曲あるうちの2曲ともキーボードやオーケストラがメインの曲だったが、ほとんど単音で繰り返しも多く、イケると思ったのである・・・・・・・・。
緊急事態宣言は明けたが、まだまだ世間ではライブなどという雰囲気ではなかった頃だ。最終的な形態は動画配信を目標としていた。ひとりずつパート別に個別に録画・録音して合体させる。
1曲目を仕上げて送ったのは、6月30日。
これでも苦労した。思ったよりも難航したのである。
速弾きというには至らないテンポかもしれない程度ではあったが、恐らくもともとは打ち込みで弾くような機械的なメロディが、アグレッシブに続くのでキツイ。
冗談抜きで私は、毎日練習した。休むとその分戻ってしまうのが怖い。休日でも二日酔いでも練習した。
しかし練習すればするほど、進歩がある。これがまた面白くてやめられなくなった。
2曲目は1曲目よりももっとシビアに速く難易度も高かったが、私は練習した。
色んな発見があった。
脱力。
力任せ。
ピアノと違い鍵盤が軽いので、それを生かせば脱力で速くは弾けるが、コントロールが難しくなる。
力任せは安定するが、速く弾くのが難しくなる。
手首を回して助ける。
弾けるようになってきても、なぜかある時突然リセットされたように弾けなくなる。これを乗り越える繰り返しで、やっと弾けるようになっていくのである。
腕は常に痛んでいた。そのうち肩ごと痛んでくるようになってきた。
これはもういい加減にケリをつけないと・・・、とやっと決意したのは9月30日。
まだまだ「できる」という状態ではなかったが、ここまでやってこの状態である。これ以上はもう大きな前進は見込めないと観念したのだ。
録音は上手くつなぎ合わせるから、こま切れでいいと言ってくれた。
そのぶん気は楽だったが、それにしても、それにしてもだ、プレッシャーで間違えたり音を引っ掛けたりするのである。
ミスをすればそれが次へのプレッシャーとなり、ますます緊張してヘマをする。
何日か私は挑戦したが、やがて心が折れた。
演奏以前に、心が弱いのだ。人間性の問題である。私は演者になれない人間だ。ものを完成させられない人間だ。思えばなにごとも成し遂げたことなどなかったじゃないか。
私は逃げた。
しらばっくれた。
そして年が明けた。
私はクラシックが弾きたくなっていた。
そうだった、そもそもこれをやっていこうと決めていたじゃないか。
しかし課題曲をしらばっくれたまま練習する気にはなれなかった。
さりとて「弾けませんでしたごめんなさい」という勇気も持てずにしばらく沈黙していたが、いい加減、生活全般でもこんな進歩のない自分に嫌気がさしてきて、色々と起爆してみたくなったのだった。
完成できなかったことを依頼主に謝り、もう何の役にも立たないが録音出来た分だけ音源を送った。
実にその量、イントロの13小節だけ。悔しさと情けなさと申し訳なさでいっぱいである。
それと引き換えに前進することができた訳だが、久しぶりにピアノを弾いてみたら全然弾けなくなっていて、ここ数ヶ月の無駄な時間を悔やんだ。
悔やんでいる場合ではない。
もう振り向かないで、進めEE:AEB30
起爆EE:AEB30