サラッと流したが、それを見た時、ちょっとした衝撃が私に走った。
彼は、皿を拭いていた。
休日に突然お邪魔して、奥様が留守だったこともあるだろう。
それも、慣れた手つきであった。その動きに、躊躇や恥じらいはない。
しかし私が驚いたのは、そこではない。
皿って拭くもんだったのか!!
そういえばそうかもしれない、ってかそうだろう、教科書通りに言えば。
しかし私の家事の中に、「皿拭き」はない。あるとしたら、「皿乾かし」だ。
なぜか分からないが私は、洗った後の皿を片づけるという作業がとても嫌いであった。
一応実家ではちゃんと皿は洗ったらすぐ拭くようになっていたし、しょっちゅう手伝わされたものだ。
母はしつけも兼ねてこのような手伝いを色々させたようだが、「それはそれ」だ。悪いが全く身につかなかった。
手伝いに限らず、何においても私には母の思惑は響かなかったものだ。だから今もこうして、だらしのない生活を送っているのである。
しかし言い訳がましいが、わざとではないのだ。
「身につかなかった」のだ、実践のしようがない。そういう思考に及ばないのである。例えば「洗った皿を拭く」などという。
そんなことを「知っていた」ぐらいな時代はあったかもしれないが、淘汰されたのである。退化したのだ。私には必要のない作業とみなされたのである。
ところが彼を見て、私は思い出したのだ。皿を拭いている。皿を拭いたら流し台がきれいになった!!
これは衝撃だった。
そして思った。
私も皿を拭けば、流し台がきれいになるんじゃないかと。
我が家には食洗器があるので、拭くと言っても鍋やボウルなどの大物や食洗器に入りきらなかった若干の皿にコップ程度のものである。
それらは拭かずに乾くまで放置していたために、そこが空かない限り次の洗い物ができない状態でいた。
拭いて場所を空けようなどとは思いつきもしなかった。
「あ~、まだ乾かないのー。」とその時を待つだけだったのだ。
皿拭きの効果は絶大だった。
流しの回転率が上がった。
常々謎だったのだが、食事の支度を終えたら、流しには調理に使ったボウルやらカップやら野菜カスやらがてんこ盛りになっていて、その状態で「いただきます」だったのだ。
どこの家庭もそうなのかと考えた時、どうもそんな風には思えなかった。
かと言って、これらを全部片づけていたら、料理が冷めてしまうし家族を待たせてしまう。
ところがだよ!!
調理する前に皿鍋拭いて流し台を空けておけば、使った先から洗えるのである。
言い方を変えればいちいち洗わなくてはならないが、こまめにやればたかだかボウル1個カップ1個である。私のようなウスラボケなら、洗ったことなど忘れてしまえる量だ。
こまめに拭く!こまめに洗う!この高回転がなんと気持ちいいことか。
かくしてやっと、皿を拭くというアビリティを会得した。
そして、もしかしてこの「回転」は、他にも応用できるような気がしている・・・。
人生、まだまだ学ぶことがたくさんありそうだ。