人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

10年

去年の12月で、ブログを始めて10年になった。

まさかこんなに長く続くとは、全く思わなかったのだ。

そもそもモノを書くのが好きではあったが、飽きっぽく、何をやっても長続きしない。

そんな中、ここまでやってこれたのは、ひとえに閲覧者のお陰と心から思っている。

本当はちょうど10年目の日に書きたかったのだが、なかなか落ちついて書ける日がなく、ここまできてしまった。

ここで私のこのブログがどういうものであるか、少しお話させていただきたい。

 

最初は軽い気持ちで始めたものだったので、コンセプトもクソもなかった。

ただしょーもない日常を晒すことで笑ってくれる人でもいればいい、共感してくれる人でもいてくれたらいい、そんな気持ちと共に、日記として自分の日々を残しておきたかったのだ。

 

不思議と、書き残したことは忘れない。読み返せばその情景を思い出すことができるのである。

ここには忘れ去られるはずだった日々が、残されているのだ。

時々、「このブログのメインは何?」とか「カテゴリーをもっと絞った方がいいんじゃないの?」と言われることがある。

私はこのブログを、情報源として作っていない。

あくまでも個人の記録であることが前提であり、二次的に情報として役に立ってくれればいいというスタンスだ。

 

しかし、ここまでやってこれたのは、レスポンスがあり、「誰かが見ていてくれる」という希望と緊張感があったからなのも事実だ。だから自分の中でだけ終結するようなものにならぬよう、できるだけ読み手のことを考えて書くようにしてきた。

閲覧者が私を動かし、閲覧者のために文章を考え、結果的にひとりよがりにならないように気をつけることができるのである。

時には感情的になり、思いをそのまま乱暴にぶつけたくなる時もあった。

とある個人のことを、その人にだけ分かるように書いてやろうと思ったこともあった。

しかし読み手がいる前提で書くことで、文章を客観的に見ることができたのである。

手元には人に見せないいわゆる普通の日記もあるが、これはあまりにも素のまま曝け出されていて、読み返すのもつらい(笑)

思い出したくなかったことも書き残されていて、良し悪しだ。

また、往々にして続かない。

誰も見ないのだ、自分という読み手だけのためでは、甘えや飽きがでてきてしまう。

私はここまで続けてこられたのは、ひとえに閲覧者のお陰である。

 

しかし根本が個人の記録となるので、どうしても他者から見て意味のないものも出てきてしまう。その辺はそれがこの「人間のクズ!」であるということでご容赦いただきたい。

 

10年もやってきて、1日300程度のアクセスだ。あまり人様に求められるようなブログではないことは分かっている。

それでも私は、アクセスを上げることに躍起になりたくはないのだ。

こうして公開しているのだから多くの方に見て欲しいのは確かだが、純粋に楽しく書き続けるためには、アクセス数にこだわりたくないのである。

数字に振り回されたくないし、気持ちと裏腹に媚びるような文章やトピックを出したくない。

ただ淡々と、日常を書き残していきたい。

 

気をつけてはいても、時に人を不快にさせるような文章になってしまったりしたこともある。そして今後もその可能性は十分にある。

その点は変わらず不安だが、閲覧者がいる限り、いなくなってもいつか出てくるかもしれない限り、私は努力する。

繰り返すが、閲覧者が私を動かし、閲覧者のための文章を私が書く。内容は単なる記録だ。それは自分のため。それが二次的に、誰かの役に立ったり心を動かしてくれればいいなと思う。欲をかかないためにも、これはあくまでも自分の記録であることを前提としたい。

 

長々と言い訳のようなことを書いてしまったが、そんな訳で閲覧いただいてる皆様に、心から感謝の気持ちを伝えたい。

あなたがいなければ、私はここまでできなかったということを。

ありがとう。