「僕は必死に我慢していたが、一週間もすると、この痛みをコントロールして半減する方法を見つけ出した。
その方法は、頭の中で「この手は俺のものではない。」と念じて、痛みの回路を閉ざしてしまうのだ。
すると右手の痛みは自分の苦しさではないと思えてきて、平穏な気持ちになれる。
正確に言えば、手の「痛み」は取れないが、痛みから生じる「ストレス」からは逃れられるから、辛さがない。」
太田哲也という元レーサーをご存知だろうか。
レース中の事故で車が炎上、全身大やけどを負い瀕死の重体から奇跡の生還を果たしたのだが、
これは、激しい痛みを伴う治療を繰り返していた彼の言葉である。
というわけで、またこの日がやってまいりました。
歯医者の日。
今も痛い治療をしているが、この後さらにすごいのが待っていると前回聞かされていた。
もしかしたらそれは今日かもしれないのだ。
ムチャクチャ気が重い。
冒頭の文章を頭に叩き入れ、私も痛みをコントロールしてやろう、そう決めた。
しかし、読んでの通りイメージがしにくい。
経験した者にしか分からないような表現である。
「これは私の歯ではない。」
本当にそんな風に思い込めるだろうか。
30分も早く着いてしまった。
助手の奥様は、私を認めるとニヤッと笑った。
「アレが来たか。」さしずめそんなところだろう。
しまった、ぬかった。
今日は月に一度の「歯磨きチェック」の日だった。
時間がないので適当に済ませて来てしまったのに。
かくして今日もいつもの歯磨きレクチャーを受けることとなる。
汚れを示す赤く残った薬を歯ブラシで落としていくのだが、先の治療が気になって集中できない。
気が着くと左手の鏡はダランと下がり、ボーッと手だけ動かしていた。
そんな姿を見て先生は
「明日はお休みなの?」
「晴れるかな~?」と気をそらせるように話しかけてきたが、まるで無駄であった。
「怖い」「逃げたい」それだけで頭がいっぱいである。
「乳幼児扱いだな、こりゃ(笑)1.5倍の手当てだよ。」そう言って先生は治療を始めようとした。
しかし私は何としても逃げたかった。
何とか麻酔をしてもらえないか。
金や時間ならどんなにかかってもいい、何とか痛くない方法はないか、と食らいついたが
「だんだん慣れてきてワガママ言うようになってきたぞ。」と笑って取り合ってくれなかった。
「ゆっくりいきましょうね。」
「痛かったらやめましょうね。」
毎回こう言い、
「これまでもずーーーっとそうしてましたよ。」
毎回こう言われ、ついに治療が始まるのであった。
今回も痛い、やめて、と大騒ぎだ。
また結局、次の段階へは進ませなかった。
太田氏の教えは?
それどころではない。すっかり忘れていた。