人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

[古日記]No.1 S61.10.24~12.13

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処分する前に、最後に目を通すことにしたのだ、日記。

とりあえず最初の1冊を片付けたが、その栄えある1ページ目にはボウイの「オンマイビート」の歌詞が書いてあって早速赤面だ。

偉そうなこと言って、当時私は高校を辞めて、「家事手伝い」という名のニートである。

まだ書き始めなのでこまめに書いてはあった。しかしセンセーショナルなできごとは起こらない。

地元と元カレという小さな社会の中で、毎日堕落した生活を繰り返すだけであった。

良く飲んで、良く遊んで、良く眠る。

時々思い立ってベースの練習をし、浜田麻里やレベッカなど歌ったりしていた。

「7時にバリッと起きるつもりが、もう夕方」、この朝の予定はどうなったのか。

もう夕方などと不可抗力的に言っているが、それまで気づかない訳はないだろう。

甘えやがってEE:AEB64

本当に情けない情けない情けない、親がしょっちゅう怒っていたわけだ。

昭和61年。

懐かしいものが普通にたくさん織り込まれている。

ひょうきん族、ウルトラクイズ、どっきりカメラ、ミュートマ。テレビばっかり(笑)

しかし中の「親子ゲーム」というのには記憶がない。ドラマの再放送のようだが。

誕生日プレゼントはボウイの「ビートエモーション」とメタルテープであった・・・。

レコードといえば貸しレコード屋。

貧乏な私が持っているボウイのアルバムは、確かこれ1枚である。

「今日は誰とも会わなかったしやることもなかったから、ずいぶんマリオと仲が良かった気がする」。もうひとりの親友、スーパーマリオ。

1本のゲームソフトを繰り返し遊んでいた時代だ。

電話は一家に一台、会話は家族に筒抜けで話しにくい。

この電話に今は亡き祖母からの電話があり、お使いを頼まれていた。

そして恐れていた恥語り。80年代のクソガキを象徴する言葉のオンパレードに、ただただ赤面である。

人の作った規則に縛られるなんてウンザリ

耳が腐るほど説教なら聴いた

褒め言葉なんて忘れた

EE:AEB64仕事しろよ。朝起きろ。

先が思いやられるが、これでまず1冊片付いた。

それにしても、記憶にない名前が結構出てきたことに驚いた。

忘れている、ということである。

日記に残る思い出どもよ、これから次々墓場へ送り込んでやる。

この選択が間違いでなかったこと、1冊目で確信した。

さらばだ、マリオとの日々。

さらばだ、名も知らぬ友。