長い間、新しい曲には遭難していた。
若い頃は、こちらから手繰らなくても音楽は向こうからやってきた。
しかし結婚、仕事など、時間を拘束される生活スタイルに変化するにつれ、それは自分から求めないとどんどん離れていくようになってしまった。
しばらくはテレビのカウントダウン番組を見て必死でついていったが、とうとうそれも余裕がなくなり、録画が溜まり、ついには録画も途絶え、遭難した。
めっきり流行りの歌というものが分からなくなってしまった。
音楽を趣味とする人間として、こんな歳の取り方はしたくなかったものだ。
しかし今となっては、曲との出会い方が分からない。
もう発信元は、歌番組ではない。
みんなどこで曲を知るのか、不思議で仕方がなかった。
そこで友人にどうしているのかを聞いてみると、「Spotify」を教えてくれたのだ。音楽配信サービスのアプリである。
色んなジャンルごとの曲を、勝手にどんどん流してくれるのだ。気に入った曲があれば、「お気に入り」にまとめることもできる。
YouTubeや過去に聞き取ったShazamの曲も合わせ、このところ急に「新曲」が動き出したのであった。
新曲といっても、私の新曲はヒゲダンや米津玄師である。やっとヒゲダンをまともに聴いたのだ。凄くいいぞ!今頃ヒゲダンに興奮している自分だ。
久しぶりに聴く新曲は、すっかり進化してスタイルが変わっていたので驚いた。
革新的で、洗練されたスタイル。昔ながらのものもあるにはあったが、私はよりこの新しいものに惹かれたのだ。
よし、このカッコイイ曲を、未だ遅れているダンナにカラオケで聴かせてやろうじゃないか。
私はこっそりと練習した。
何年ぶりの新曲か?きっと驚くぞ。
驚いたのは、私の方だ。全然覚えられないのである・・・・・・・。
何度も繰り返し聴いていたので、あとは歌詞を見て歌うだけの状態だと思っていた。
しかし頭の中で何となく合わせているのと、歌詞を見てちゃんと歌うのとは全然違ったのだ。
まず構成がややこしい。もはや構成などというものではなく、プログレのような長い一曲なのか?
AABサビABサビCなどという観念は捨てないと、かえって混乱する。
メロディも同じようで同じじゃない。ちょっと語尾を変えたなどというのではなく、似ているようで違うメロディなのだ。しかし違うくせに同じ部分もあるからややこしい。
そしてそのメロディも、やたらタターン、タターンとシンコペし、裏打ちが多いので乗り遅れる。不規則な休符も多い。
昔、歌の苦手なおじさんが宇多田ヒカルの「Automatic」をカラオケで歌えるようになりたいというのをテレビでやっていたが、そっくりそのままそのおじさん状態になっていた。
あのおじさんを見て私は、本気でダセーと思った。こうなったら終わりだと思った。どうしたらこうなるのかと思った。終わってると思った。
それが今の私なのである。ショックは大きかった。
いいや、終われん!!
このままではダセー、しかし幸いおじさんよりは下積みがあるのだ、このまま終わらせるわけにはいかない。
メロディ譜をダウンロードすることも考えたが、老眼で読みづらいというますますダセー展開が予想された。そこで考え出したのが「ひらがな譜」である。まぁこれも十分ダセーが、仕方がない、歳を取るというのはダセーものなのだ。せめて結果を出さなくては。
私はこのダセーひらがな譜を片手にカッコ良くヒゲダンを歌えればいい。
理屈なく記憶だけでスラスラ歌えていた若い頃が懐かしい。
加齢とは、喪失の連続である。
みっともなく抗ってみるよ・・・。