人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

余命一ヶ月

どうしたら部屋が片付くのだろうか。

信じられないかもしれないが、こう見えても掃除は嫌いではない。

苦手なのである。つまり「下手」。

そこへきて時間の使い方が下手、集中力がない、あれこれ一度にやりすぎてどれも終わらない、など、様々な障害が加わって来るのだ。

これが今の状態を作り出している。

ああここを何とかしたい、そうは思っても、手を動かして済むことならいい。

しかし、そのためには場所を空けなくては、でもこれは捨てられない、そんな感じで、どの場所も腰を据えて考えるところから始めないと、どうにもならないのである。

そこへ、床のシミ、照明の埃、ソファカバーの猫の毛などの掃除だ。

これは目につくし、やるべきことは歴然としているので迷いはない。

ただ、いくらでも優先順位を落とせてしまうのである。

そんなことよりも先に猫のトイレを掃除しなくてはならないし、洗濯物を干したり畳んだりしなくてはならない。

結局。

日常生活の中でやらなくてはならない最低限のことをやり、バンド関係のことをやり、イレギュラーな仕事をやり、一日は終わる。

掃除片づけはまた一日分、蓄積されるのであった。

これ、いい加減何とかならないものかEE:AE5B1

そう思いながらも、相変わらず非効率な日々を送っていた。

そんなある日、ふと、自分が突然死んでしまったらどうなるのだろうかと考えた。

私の遺体は、この家のどこかにしばらく安置されるだろうか。

親戚がいっぱい来るねEE:AEB64

もし事故か何かでダンナも私も一緒に死んでしまったら。

義父母がこの家の中、片づけに来るねEE:AEB64

ヤバい、こんな汚部屋、死んだとは言え見られるのは恥ずかしい。

そう思って改めて見渡すと、いらないものばかりである。

いつ死んでもいい部屋にしなくては。

急には無理だ。

そこで私は、余命を作った。

もし自分があと1ヶ月で死ぬなら。

不思議なもので、どうせ死ぬと考えた途端に、不必要なものに執着がなくなってきた。

「いつか」と思って捨てられないもの、「思い出に」ととっておいたもの。

それらはみんな「無駄」だ。

物が減れば、おのずと家の中は片付くはずだ。

さて。

私の余命はあと10日ほどとなったが、なぜ、何も変わらない??

そこに本当の原因がある気がしてならない。