どうしたら部屋が片付くのだろうか。
信じられないかもしれないが、こう見えても掃除は嫌いではない。
苦手なのである。つまり「下手」。
そこへきて時間の使い方が下手、集中力がない、あれこれ一度にやりすぎてどれも終わらない、など、様々な障害が加わって来るのだ。
これが今の状態を作り出している。
ああここを何とかしたい、そうは思っても、手を動かして済むことならいい。
しかし、そのためには場所を空けなくては、でもこれは捨てられない、そんな感じで、どの場所も腰を据えて考えるところから始めないと、どうにもならないのである。
そこへ、床のシミ、照明の埃、ソファカバーの猫の毛などの掃除だ。
これは目につくし、やるべきことは歴然としているので迷いはない。
ただ、いくらでも優先順位を落とせてしまうのである。
そんなことよりも先に猫のトイレを掃除しなくてはならないし、洗濯物を干したり畳んだりしなくてはならない。
結局。
日常生活の中でやらなくてはならない最低限のことをやり、バンド関係のことをやり、イレギュラーな仕事をやり、一日は終わる。
掃除片づけはまた一日分、蓄積されるのであった。
これ、いい加減何とかならないものかEE:AE5B1
そう思いながらも、相変わらず非効率な日々を送っていた。
そんなある日、ふと、自分が突然死んでしまったらどうなるのだろうかと考えた。
私の遺体は、この家のどこかにしばらく安置されるだろうか。
親戚がいっぱい来るねEE:AEB64
もし事故か何かでダンナも私も一緒に死んでしまったら。
義父母がこの家の中、片づけに来るねEE:AEB64
ヤバい、こんな汚部屋、死んだとは言え見られるのは恥ずかしい。
そう思って改めて見渡すと、いらないものばかりである。
いつ死んでもいい部屋にしなくては。
急には無理だ。
そこで私は、余命を作った。
もし自分があと1ヶ月で死ぬなら。
不思議なもので、どうせ死ぬと考えた途端に、不必要なものに執着がなくなってきた。
「いつか」と思って捨てられないもの、「思い出に」ととっておいたもの。
それらはみんな「無駄」だ。
物が減れば、おのずと家の中は片付くはずだ。
さて。
私の余命はあと10日ほどとなったが、なぜ、何も変わらない??
そこに本当の原因がある気がしてならない。