結局、自分を幸せにできるのは自分しかいない。
事実は一つしかなくて、それが事実であるかどうか分かるのは自分のことだけだ。自分以外の本当の事なんて、何ひとつ分かりはしないのである。都合のいいように考えておけばいい。というと語弊があるが、疑っても何もいいことはないということだ。
今読んでいる小説の主人公は、人に言えない秘密を持ったがために、疑心暗鬼に陥っていた。
あいつはこの秘密を知っているのではないか。
自分を応援してくれる友人なのに裏があるような気がして、やることなすこと自分を追いつめているように思えてくるのである。
事実は分からない。だから、疑ったらきりがない。確かめたところで、信じられなければ仕方がない。主人公は、勝手に追い詰められていった。
結果、取り乱し、問い詰め、怒り、どんどんこじれていく。もはや主人公には、「友人は自分の秘密を知っている」という筋書きしかない。それが明らかにならないジレンマ。
どう足掻いたって、なるようにしかならないのだ。猜疑心の沼にはまるよりも、信じて幸せに生きる方がいい。
足枷になるような秘密は持たない。後ろめたいことがないなら、胸を張っていればいいのだ。
幸せになれるかどうかは、自分次第なんだなと思う。自分に委ねられているなんて、ありがたいではないか。
人生の後半戦、おめでたく生きてやろうと思う。
バカでいい。
幸せなバカになりたい。
メールの返事が来ない。
そういえば最後にあった時、ちょっと素っ気なかったような気がする。何かまずいことを言ってしまったか。
メールの内容が悪かったか。
考えたらきりがない。
たまたま気づかなかった。返信を後回しにしたまま忘れてしまった。じっくり考えていた。そもそも待たせているという自覚がなかった。
こっちの可能性だってあるのだ。こう考えた方が、精神衛生上よっぽどいい。
分かっちゃいるけど、なかなかそうも思いきれないのはなぜなのか。
自分に否があるなら、それを知りたい。
これは必要かもしれない。ひと通り思い返して否に思い当たったら、それに対処する。
それ以上できることはない。