ちょっと!!
先日の手抜き2行記事にまた拍手入ったよEE:AEB64
どなたか存じませんが、あなただけ幸せを願わないことはしたくないので、私もいちいち書かせてもらいますよ。
4人目のあなたにも幸あれ(笑)
さて、日にちが開いてしまったが、追憶、続きである。
前回は楽しかった思い出を書いたが、今回は良くない方、いってみよかEE:AEACD
時間経過で思い出すことにさほど苦痛を感じなくなっていたのだ。
面白半分に読んでいただければと思う。
私が落ちこぼれ始めたのはいつ頃からだったのだろうか。
とにかく忘れ物が多く、遅刻ばかりして、頭も悪く運動神経も鈍く、学校生活には馴染めないでいた。
授業をまともに聞いていたのは低学年の頃までで、そのうち聞いても理解できないので、ボケーッと空想ばかりしていた。
行事やゲームなど新しいことの説明を聞くのも苦手で、その場になってどうしたらいいか分からず、周りの真似を必死にしていた覚えがある。
体育では、野球をやれば「電柱」と呼ばれ、ドッチボールでは真っ先に狙われた。
学年で開催されるマラソン大会では、ビリから2番目であった。
当時ひとクラス約50人×4クラス、200人中のブービーだ。
根性がない。
スタミナもない。
やる気もない。
ハナから頑張ることを諦めているので、成長もしない。
覇気のない子供であった。
また、低学年の頃の男子どもの容赦ない辛辣さは、本当に苦痛であった。
いわゆるガキ大将に思いやりなど露ほどもなく、失敗すればはやし立て、弱い者を槍玉に挙げる。
幸いだったのは、私自身も子供で、すぐに忘れてしまえたことだ。
まぁ子供なんてそんなものなのかもしれない。
こんなんでも学校は嫌いではなかった。
家でも私はだらしなく、部屋は散らかり、勉強をしないで怒られ、絵にかいたような落ちこぼれであった。
鴨居に50センチの木の物差しが置いてあり、それで良く尻を叩かれたものだ。物差しは縦に割れ目が入ってしまっていた(笑)
塾には行ったことはなく、家庭学習用の教材をやっていた。
分からなかったり間違えたりすると母に教えて貰わなくてはならないのだが、あまりの物分かりの悪さに、しょっちゅう母はキレていた。
そうなると私としても母を怒らせないよう、できるだけ分かったフリをするようになる。
しかし「フリ」は「フリ」であり、理解はしていないのだ。やがてまた「まだそこが分かってなかったのか」と余計に怒られることになる。
怒ったってしょうがないでしょう、分からんものは分からんよ。
こうしてとうとう理解できなかったのは、距離と時間と時速の計算、何%の食塩水と何%の食塩水を足すと何%の食塩水になるのか、ってヤツ。
あまりにも分からなかったので、今でも良く覚えている。
ある日、近所の子らと遊んでいてスイミングスクールに行きたくなくなってしまったことがあった。
サボることにしたのはいいが、その日は月謝を払う日で、それをそのまま持って帰ったらサボッたことがバレてしまう。
証拠隠滅のため、みんなで駄菓子屋で豪遊した。
その日はバレなかったが、次の月謝の時に「前回の分が未納です」となる。その日の出席の判も押していない。
母が私を疑ったかは分からない。
結局怒られもせず、未納分を払って終わってしまったのだ。
おかあさん、ゴメンナサイ。
小学校も高学年になると、いよいよ本格的に落ちこぼれ、できないものは徹底的にできなくなった。
担任が大嫌いで、学校生活は苦痛となる。
反抗期も重なり、色々こじれて最悪の時期の始まりである。
もうこの辺になると思い出したくないので、私の思い出は小学校中学年までとする。
過去は変えられない。
かと言って、戻ってやり直したいかと聞かれれば、戻ったところで同じ繰り返しだろうと思う。
こういうところがいけないのだろうが、どうやら私には「頑張る」という能力に欠けているように思う。未だに覇気なんかありゃしないよ。
ほどほど頑張って、ほどほど幸せでいられればいい。
つまらん人生で申し訳ない。