「サンマをたっぷりの大根おろしとポン酢で食べたい」。娘ぶー子のリクエストだ。
娘の家に魚焼きグリルがないと言うこともあるが、めっきり食欲が落ちていた反動もあるようだ。心配していたので、食べて欲しいところである。
私の好きな焼き魚のナンバーワンは、迷わずサンマだ。
以前はどうかすれば3尾100円で買えたものが、最近は不漁らしく値段は上がっている。そのうえ小さいものばかりで、いい時代を知っている身としてはすっかり萎えていたのだが、「今年のサンマは良さそうだ」とあちこちで聞いていた。
良し、サンマだ。思えば去年は食べただろうか?ぶー子が家に来た。
ワンプレートにすると、見栄えが良くなるものである。半分に切って焼いたナスと、ツナとニラをレモンで和えたものを添えてみた。
まだ時期的にちょっとお高めのサンマだったが、なかなか大ぶりで不満はない。
娘に食事を作るということは、また特別である。「やっぱりおかんの」「さすがおかん」と思われたいものだ。そしてその「さすがおかん」の心意気を、受け継いで行って欲しいと願う。
今回はわざわざ、キャンプ用のメスティンでご飯を炊いた。
炊飯器をしまい込んでしまっていることもあるが、このメスティンご飯がメチャクチャ美味しいのである。どうしても食べさせたかった。
ところがどうしたことか、まずくはなかったが私の食べさせたかった「アレ」にならなかったのである。
計るものは計って完璧だと思ったのに、やはり科学の力を借りないとブレが出てしまうのか。電気なんてない時代にご飯を炊くことの難易度を思ったが、案外毎日のことで上手くやっていたんじゃないかと考えると悔しくもある。今は電気がないと、確実においしいご飯は炊けないのか。
「このご飯、冷めたら美味しいよ。」と褒めてるんだか慰めてるんだか分からんようなことを、ぶー子は言った。
他愛もないお喋り。
心の中に、言いたいことは、たくさんある。
でもそれはたぶん、すぐには役立たないものだ。彼女も今欲していない。
それでも私はやがて先に逝き、何か残せるとしたら、「どう生きるか」。
強い子だ、心配はしてないが、幸せになって欲しい。
今私が知り得るそのコツを、本当は全部全部伝えたい。
そんなことを考えながら、映画の話をいっぱいした。レンタルDVDの予約リストはまた伸びた。
サンマは美味しかった。ぶー子も喜んでくれた。
これもまた、幸せの形だ。
10年後、20年後のぶー子も、どうか幸せでありますよう。