突然、父から現金書留が届いたのだ。
毎週電話しているのに、心当たりがない。
中を開けてみると、決して「少しばかり」という額ではない現金が、手紙と共に入っていた。
手紙を読む。
「新しい家族のワンちゃんのため、パーティを開いてやってください。」
ワンちゃんとパーティ。
突っ込みどころ満載だが、私は笑うことができなかった。
長い絶縁期間。
憎しみ合った時期。
それを思うとつい、泣けてきた。
病気の犬を引き取る話をしたのは、週に一度の電話の時であった。
正直、父に話すかどうかは迷っていた。
父たちの世代に、犬を「保護する」という概念はない。可愛がりはしたが、あれは外に繋いで飼うもの、家族ではなく、ペットであった。
ただでさえ4匹も猫を飼ったりして、父も母も半分呆れていたと思う。そこへ今度は犬だ。いい反応は得られないと簡単に予想できたのである。
しかしいずれ知ることだろうし、話も途切れてしまった。ついポロッと言ってしまったのである。
やはり父は、驚いたようだ。
「だってお前、猫は大丈夫なのか?」「ダンナはいいって言ってるのか?」「大変だろう」・・・。
口調は柔らかかったが、非難ともつかない言葉が続いた。
それでも、受け入れるよう葛藤している感じがあったので、サラッと流してその場は収めたのだが、その次がこれだ。
すぐに電話をすると、「いや、テレビでなんかやっててさぁ、お前、これは凄くいいことみたいじゃないか。」と興奮気味に言った。
テレビの影響なのか?いや、もしかしたら、違う。
この頃の父は、ずいぶん色んなことを受け入れてくれるようになった。父なりに、考えてくれたのかもしれない。
母を亡くし、自身の人生も最後のステージに入った今、特にこういった「命」や「運命」といったことには柔軟に考えるようになったと思う。
それとも昔から父は、こういう包容力があったのか。何しろ仲が悪かったので、私の眼鏡は曇っていた。恐らく若かった父も。
今曇りなくお互いが見られるようになったのかもしれない。
未だに新しい発見に驚くことがある。
それにしても「ワンちゃん」とは(笑)父の不器用な思いやりが垣間見れてくすぐったい。
「パーティ」というのも、父の中での最高なもてなしなのだろう。物を買えとは言わない。
本当は、パーティをやりたいのは自分なのである。
コロナで集まれなくなって、一年以上が経っている。「家族で家で食事するぐらい」「いや、ワクチンが終わるまで」「ちょっと片付けに来て欲しい」「後で後悔しないように今は我慢」、父はいつも揺れている。本当は、会いたいのを我慢しているのだ。
ワンちゃんが来たら、パーティをしようと思う。
でもねお父さん、いきなり犬と猫を一緒にはできないし、保護した犬を隔離してパーティっていうのもどうなのか??
想像力の乏しさは、変わっていない。