人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

常識は、非常識

この歳になってまだ、自分の常識が非常識であることを知ることがある。

全く油断ならない。私の「非常識」はまだまだありそうな気がして・・・。

多くは家事にまつわることだ。

母が無頓着だったこともあるし、また私も母から学ぶ気持ちがさっぱりなかったこともある。

掃除の仕方なんかは、未だに試行錯誤しているところだ。

この歳になって今さら恥ずかしくて人にも聞けないし、そもそも私はそういうものだと思っていた訳だから、まず疑問に思う事がない。

よそのお宅で自分との違いを見て驚き、学習しているのである。

数を挙げたらきりがない上、あまりにも低レベルの気付きだったりするので、ここでは未だに良く分からない「換気扇」についてを挙げてみる。

いつもそうだが、そもそも疑問なんてなかったのだ。

そういうものだと思っている訳だし、自分でいいと思った使い方をしていた。

ところがある日、ウチの換気扇がお隣の2階の窓に面していることに気がついた。

ダンナが残業で遅くなった時なども平気で深夜に回していたが、これってもしかして迷惑だったりしたのか??

ネットで調べてみる。

そこで私は、自分の換気扇の使い方が根本的に間違っていることを知るのであった。

多くの人は、火を使う少し前から回しはじめ、一度回したらもうしばらくは回しっぱなし。

調理したものによるらしいが、食事が終わるぐらいまでは回しておくなんて人も多かった。

なんでそんな回すEE:AEB2F

私は換気扇の存在意義は、「油逃がし」だと思っていた。

キッチンがギトギトにならないよう、油を使って調理する時にのみ、回していた。

だから換気扇のスイッチは火をつけると同時、消すのは火を消して何となく熱気が収まったぐらいに消していた。

そこへきて近所も気になるので、10時を過ぎたら油の調理でも回さないようにしていた。

しばらく換気扇を回しっぱなしにするのは、匂いがこもるから、とのことである。

えっ、それがいいんじゃんEE:AEB64

リビングのドアを開けて、おっいい匂いEE:AE5BEっていうの。

残り香も、晩ご飯の思い出がいつまでも漂う感じで私は好きだった。

納得がいかないし、匂いだけの問題ならダンナも何とも言ってないので結局私はやり方を変えていない。

しかしこういうのは常識知らずっぽいので、あまり人には言いたくない。ここで晒しておいて言うのもなんだが。

こういうことが、多過ぎるのである。未だに私は、自分の常識が世間の非常識であること知る。

昨日はガルちゃんで、「猫のトイレの砂を人間のトイレに流す非常識」を知って、ショックを受けた。

砂の袋に「トイレに流せる」って書いてあるじゃんEE:AEB30

ところが本当にそれをやるなんて、非常識であると。常識で考えろよ、ということである。

配水管が詰まることがあるらしいという理由だが、そんなこと言われなくてもふつう流さないでしょ、というのだ。

どうも自分がかなり世間とズレているようで、おちおち家事掃除の話はできない。

未だ、学習中である。