人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

適当に散らすための方法。

意識すればする程、どうやら私は「今」を生きていないことに気づく。

先日もちょっと話題にしたが、どうも私は何事にも注意散漫で、やっていることと考えていることが連動していないことが多い。

常に行動とはまるで関係ないことを考えているので、忘れたりなくしたり壊したりするのである。

ということが分かったのだ。

考えてみれば、私はひとつのことに集中するのが苦手だ。

ゲームやライブなど、嫌でも集中しなくてはならないこと(か、心から楽しんでいることなのか)を除き、たいがいボケーッと他のことを考えながら掃除をし、歩き、音楽を聴き、風呂に入り、人の話を聞き、自分の考え事すらひとつに集中できない有様であった。

来月にライブを控え、歌詞を覚えなくてはならない。

集中できないのは承知の上だ、それだけを単独でやろうとは思わない。

しかし「ながら」にするにはちょっと難易度が高い。

何か考えなしにやれる事と平行できるのが理想であった。

それが先日、ウォーキングのついでに歌詞カードを持って行ったら、驚くほど集中できたのである。

運動にもなって一石二鳥、そんなんでやたらと歩いている今日この頃であった。

昨日は合唱団の仲間と国分寺で会ってきたのだ。

最寄り駅まで歌詞を片手に歩き、電車の中でも歌詞を広げ・・・、ようと思ったら歌詞がない。

そんなはずはない、さっきまで持っていたのである。

一体いつどこで・・・。記憶を巻き戻す。

改札を通る前に、パスモのチャージをした。

その時にバッグにしまったつもりだったが・・・。

早速これだ。

あれこれ一度にやろうとするくせに、そのどれもがおざなりなのである。

もう電車には乗ってしまった。戻れば待ち合わせに間に合わない。

仕方なく国分寺で電車を降りてから、東村山駅に電話をしてみた。

「歌の歌詞(変な言葉だが「菓子」との混乱を避けた)をプリントした紙を落としたようなのですが・・・。」

こんな時私は、バツの悪さから余計なことを言ってしまう。

「一見ゴミみたいなものなんですけどとても大事なものなので・・・。」

訴えの甲斐あってか、駅員さんはホームまで捜しに行ってくれ、無事に見つかってひと安心であった。

あの歌詞のプリントは、自力でやったのでとてもとても時間がかかったのである。またあの作業をやらなくてはならないと思うと、ウンザリだ。ホントに助かった。

かくして私は、コモさんと優雅なランチに浸ることができたのである。

店を出ると雨は上がっていた。

歌を少しでもインプットしたいのもあり、覚えている部分だけでも繰り返して叩き込むことにした。

つまり、歩く。

目標は東村山駅まで。5駅間。

無理だ。線路沿いを歩いて、疲れたら電車に乗ろう。

私は頭の中を「現実」と「歌」に二分した。

長い散歩の始まりである。