人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

真冬のハイビスカス

心が荒んでしまったのだろうか。花を見ても何も思わなくなった。

一時期、安い花を見つけて来ては買いあさっていたので、庭はバカみたいにチカチカしていた。

雑然と並べてあり洗練した美しさはなかったが、小さなつぼみがやがてふくらみ、開いていくのをみるのはとても喜ばしい事だったのだ。

「育てている」、そんな実感があった。

そして彼らはそのお返しに、エネルギーをくれたのである。

私達はお互いの存在を必要としていたのだ。

それがどうだ、夏が来るとあっという間に庭は枯れ果てた。

暑いので、一度の水忘れが命取りになるのである。

しかし暑かろうが寒かろうが、私は週に一度は二日酔いになる。

その翌日に「さぞかしグッタリしていることだろう・・・。」と思うと庭に出る気がせず、放置すればするほど逃げたくなってきて、あっという間であった。

観念した。

夏の間、庭はお休みである。

しかし涼しくなってきても、冬になっても、花を買う気にはならなかった。

なぜだかさっぱりわからないが、花屋の花を見ても、何とも思わないのである。

このままでは花も愛せないダメな人間になりそうなので、申し訳程度にパンジーを買ったが、水やりは滞りがちであまり元気がない。

それを見てますます萎え、庭が遠くなるのであった。

もっと見たくない現実は、音楽室にある。

寒くなってきたので夏の花のハイビスカスと月下美人を、日当たりのいい部屋に入れたのだが、そもそも入れた時期がもう遅かったのだ。

水もあまりやらず、寒空に長い間放置されていた彼らは、半分枯れていた。

しかし、ハイビスカスは瀕死のところを母に助けてもらって元気になったものであり、月下美人も母から分けてもらって「大切にするEE:AEAA6」と言ったものである。死なす訳にはいかない。

でももう死にかけているのだ。

これもまた見たくない現実であり、目に写っても脳にまでそれが到達しないように努力し、「やるべき事はやっている」とばかりに、根元だけを見て気まぐれに水をやっていたのであった。

このままどうなるのだろうか。

元気になってもらいたいが、もう手遅れだろう。

しかし、半分枯れてはいるが、半分は緑なのである。

そこから何とかならないだろうか。

とりあえず茶色い葉を切り落とす事にした。何となくそこから死菌が広がりそうなイメージがあったからだが、時間をかけてその作業を終わらせると見事にどの鉢もスカスカになった。

特に月下美人は残った葉もシナシナで、死を待つだけの老人のようである。

「ごめんね・・・。」

サボテンは言葉が分かると聞いたことがある。たまらず私は謝ってしまった。

月下美人はしょんぼりとうなだれたままである。

しかしハイビスカスの残った葉を見ると、あちこちに小さな葉が生えてきていた。

実は、水やりはかなり適当だったが、ここのところ洗濯物を干すついでにブラインドを開け放して、日が当たるようにしていたのである。

それと関係あるのかわからないが、枝の先には生まれたばかりの葉の瑞々しい緑が輝いていた。

私は感動した。

感動する前に反省せよって感じだが、とにかく、この環境でも頑張って生きているその生命力に心打たれた。

この気持ち、忘れかけていた、つぼみを見た時の気持ちである。

そう、私、この子をちゃんと育てるわ!

私のエネルギータンクは、満タンになった。

しかし、隣の月下美人を見ると、エネルギーを吸い取られるような気分である。

見づらいですが、スカスカになったハイビスカス。

照明が明るすぎてこちらも分かりにくいですが、新しい葉。