庭に、コスモスが咲いている。
白、紅、ピンクの3色。
葉の細い緑も鮮やかである。
コスモス。
数ヶ月前にコスモスの種を大きな鉢に蒔いたが、それではない。
スーパーでひと鉢160円で売っていたのだ。
私の蒔いた種は、見るも無残な状態で庭にまだ残っている。
かなりの数の種を無節操に蒔いたはずだが、1、2本だけ倒れながらヒョロッと長く育っているだけだ。
あとは数本が茶色く縮んでいる。
コスモスだけではない。
庭の鉢は一時期の華やかさを完全に失い、廃墟のような殺伐とした雰囲気を醸し出している。
完全に枯れたもの、枯れかかったもの、辛うじて咲いているもの、この庭では実に様々な死にかかった花を見る事ができる。
夏だ。
夏がいけないのだ。
ちょっと水遣りを忘れてだけで、あっというまにみんなくたばってしまった。
そうすると今度はくたばった現実から逃げたくなり、ますます遠のいてしまう。
あぁもう、もっと酷い事になってるんだろうな、私のせいで。
ますますますます逃げる。
もう最終的には、完全に忘れられるように努力した。
努力はしても、時々は思い出してしまう時がある。
良心が痛んではいるのだ。後ろめたい。
だから時々、私の中の良心が囁く。「今ならまだ救えるかも」と。
その声に負けると、私は数日振りに庭に出る事になる。
まぁ予想通り、クタクタのシナシナだ。
ごめんなしゃい・・・。ここでやっと出る謝罪の言葉。
ところが、一度水をやっただけで、翌日元気になるヤツがいるのだ。
そうなると私も嬉しくなり、続けて2、3日水をやる。
驚いた事に、再び咲いたものもある。
強い花と弱い花、今、ぽ子は良く知ってるぞ。
現在庭の花は、昨日買ったコスモスを除くと3種類ほど辛うじて咲いている他は、緑の部分をほんの少し残して枯れているものが多い。
咲いているものも「命からがら」という感じに、もう倒れていたり、ところどころ枯れていたりして、良く咲いてるなぁと妙に関心する。
寄せ植えは我が家の植物たちの運命の縮図となり、その中の比較的元気な観葉に水をあげると、隣の枯れた葉に触れてパリパリと鳴る。
ごめんなしゃい、ごめんなしゃい。
こんな庭に、きれいなコスモスが来たのだ。
夏が終わる。
ごめんね、お花。
ぽ子はもう一度、頑張ろうかと思う。