人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

死の庭

庭に、コスモスが咲いている。

白、紅、ピンクの3色。

葉の細い緑も鮮やかである。

コスモス。

数ヶ月前にコスモスの種を大きな鉢に蒔いたが、それではない。

スーパーでひと鉢160円で売っていたのだ。

私の蒔いた種は、見るも無残な状態で庭にまだ残っている。

かなりの数の種を無節操に蒔いたはずだが、1、2本だけ倒れながらヒョロッと長く育っているだけだ。

あとは数本が茶色く縮んでいる。

コスモスだけではない。

庭の鉢は一時期の華やかさを完全に失い、廃墟のような殺伐とした雰囲気を醸し出している。

完全に枯れたもの、枯れかかったもの、辛うじて咲いているもの、この庭では実に様々な死にかかった花を見る事ができる。

夏だ。

夏がいけないのだ。

ちょっと水遣りを忘れてだけで、あっというまにみんなくたばってしまった。

そうすると今度はくたばった現実から逃げたくなり、ますます遠のいてしまう。

あぁもう、もっと酷い事になってるんだろうな、私のせいで。

ますますますます逃げる。

もう最終的には、完全に忘れられるように努力した。

努力はしても、時々は思い出してしまう時がある。

良心が痛んではいるのだ。後ろめたい。

だから時々、私の中の良心が囁く。「今ならまだ救えるかも」と。

その声に負けると、私は数日振りに庭に出る事になる。

まぁ予想通り、クタクタのシナシナだ。

ごめんなしゃい・・・。ここでやっと出る謝罪の言葉。

ところが、一度水をやっただけで、翌日元気になるヤツがいるのだ。

そうなると私も嬉しくなり、続けて2、3日水をやる。

驚いた事に、再び咲いたものもある。

強い花と弱い花、今、ぽ子は良く知ってるぞ。

現在庭の花は、昨日買ったコスモスを除くと3種類ほど辛うじて咲いている他は、緑の部分をほんの少し残して枯れているものが多い。

咲いているものも「命からがら」という感じに、もう倒れていたり、ところどころ枯れていたりして、良く咲いてるなぁと妙に関心する。

寄せ植えは我が家の植物たちの運命の縮図となり、その中の比較的元気な観葉に水をあげると、隣の枯れた葉に触れてパリパリと鳴る。

ごめんなしゃい、ごめんなしゃい。

こんな庭に、きれいなコスモスが来たのだ。

夏が終わる。

ごめんね、お花。

ぽ子はもう一度、頑張ろうかと思う。