人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

『着る毛布』も魔法のひとつである

月曜日だ。

世間では火曜日と言うようだが、我が家は昨日休みだったので、ポジション的には月曜なのである。

さすがに昨日は飲めなかったが、早く寝る気にもならず、読みかけの本を読みきってから寝たのだ。朝が辛い。

辛いのは、眠いからだけではない。

我が家は月曜日なのである。

土曜日と、日曜日と、もう1回日曜日との間に放置した家事のもろもろが、全てのしかかってくるのである。考えるだけで起きる気がなくなる。

何しろ朝ご飯を食べようにもテーブルは散らかっており、卵を焼こうにもフライパンを洗うところからやらなくてはならないのである。

弁当に至っては辛うじてご飯を炊いただけで、何のプランも材料もなかった。

寝てしらばっくれたくもなる。

5回ほど目覚ましが鳴ってから、どうかダンナが自力で何かを作ってそれを食べ終わっているように・・・と願いながらリビングに下りる。

そんな幸運は舞い降りなかった代わりに、猫のご飯は済ませておいてくれてあった。リトルハピネス。

小さな幸せに喜びを感じるように生きていきたい。

しかし、んん??

何かが決定的に違うことに気が付いた。

3日間一度も洗わなかったために流しにたまっていた皿は全て洗われているばかりか、流しもきれいになっていた。

パンパンに膨らんでいたゴミ袋は全て口を結んで玄関に出してあり、パーティ真っ最中のような靴・ブーツ類の散乱していた玄関も、テーブルも、床も、猫のトイレも全てが魔法のようにきれいになっていた。

ぱちくり。

呆気にとられていたが、恐らく娘ぶー子だろう。消去法でいくと、彼女か妖精しかいない。

私の妖精は酒を歌うパワーに変換するしかできないはずだから、これはぶー子の魔法か。

親というものは、子供の不幸や死を恐れる生き物である。

私はぶー子があまりにもなかなか起きてこなかったり、あまりにもなかなか帰ってこなかったり、あまりにも男に振られたりすると死んでるんじゃないかと不安になるが、これも私を不安にした。

実際私は時々発作的に「あーもう死んじまいてー」と思う事があるが、部屋が片付くまでは絶対できないという思いがある。

こんな恥部屋を残しては、死ぬに死ねない。

つまり、私が自ら死ぬ事はないという事だ。

つまり、部屋が片付く予定は一生ないという事だ。

つまり、散らかった部屋が私を生かしているのである。

テーブルとフライパンの件が明るくなったので、目玉焼きを焼いて出す事ができた。

目玉焼き考えた人、偉い。

本当に「焼くだけ」なり。

ベーコンを切るのすら億劫で、手で千切る。

しかし弁当、どうするか。

何もないとは言っても、全く無くはない。

カスだ。

カスをつなぎ合わせて弁当という名のハピネスにするのだ、妖精!!

私の妖精は、酒を歌うパワーに変換するしかできないのである。頑張れ、自分。

クタクタのサラダの残りをたっぷり詰め、たった2個だけ残っていた冷凍の「チキン南蛮」を隙間に入れ、ししとうをベーコンと一緒に焼いて、卵焼きを作った。

これは凄い。弁当ができた。

ないないと言っても、もしかしたらあと3日ぐらいはいけるのかもしれない。

さすがにぶー子は洗濯まではしてくれなかったので、それも自力だ。

待っている間に眠くなる。

ダンナのお父さんの弟の嫁さんが深夜にシューティングゲームをやると言って私達を呼び出し、次々やってくるリアル戦闘機をリアル銃で撃ち始める夢を見た。

それだけでもたまげたが、そのうち戦闘機の方が反撃を始めたからこっちはパニックだ。

その悪夢から逃れられたのは、ぶー子が起きてきたからである。

「着る毛布」を着てソファに伸びている私を見て、「なにしてんの。」と彼女は一言。

同じ事がこの4時間後にまた繰り返される。

なにしろぶー子が部屋を片付けてくれたもんで、私はぶったるんでしまったのだ。

まぁ今日は月曜日だ。

私は火曜日に輝くのである。

明日は走るぞー。

あさってはボクササイズEE:AE595