以前雑誌か何かに、「やるべき事を紙に書き出すと、忘れずに、しかも意欲的に取り組める」というような話が載っていた事があった。
紙に書くだけでやる気になるとかバカな事を、とその時は鼻にもかけなかったのだが、あながちデタラメでもなさそうである。
と言うのも、たまたま忘れないように紙に書いた事があってから、それが実証されたのである。
しかし「紙に書く」ということが長続きせず、私は何事も忘れずに意欲的に取り組む事ができない人間のままであった。
ところがこの頃、何事も忘れずに意欲的に取り組んでいる。ような気がする。まだ自信はない。
手帳である。笑ってくれるな。
性懲りもなくザ・手帳ライフがシーズン2を迎えているが、この1週間、ただの1日もサボらずに、計画通りに生活しているのである。
娘ぶー子がたった1ページしか使わずに捨てようとした手帳をもらったのだが、これが凄いのである。
1日の予定を30分刻みで書き込むようになっているのだ。
それだけではなく、1日単位での予定表、1月単位での目標、買うもの、やること、達成率なども書けるようになっているのだ。
多くの女性はこういうチマチマしたことを書くのが好きだと思うのだが、ぽ子も女であった。
まんまとハメられて、遊び半分で書き始めたのだ。
すると今度は、書いた通りにこなしてみたくなるのである。
私が書いたスケジュールは、私への挑戦である。
負けたくなんかない。
不思議とそんな気持ちで、挑むようにこの1週間を過ごしてきた。
ただ、今はまだ予定通りにはいかない事の方が多い。
無駄なく過ごしてはいるが、見通しが甘いのである。
何かしらできない事が出てくるのだ。それは翌日に回す。
「明日見てろよ、首洗って待ってやがれ」そんな気持ちなので、意欲は翌日まで持続するのである。
凄い手帳だ。私を1週間、頑張らせたのである。
して今日の予定は「音楽室の片付け」であった。
今度の日曜に、バンドのスタジオ練習が入っているのだ。
今回の課題曲には、新曲と、適当に弾いてた曲が数曲混じっていた。
適当はまぁまた適当に弾いて逃げる事ができるが、新曲はある程度手をつけておかなくてはならない。
そのためには音楽室のピアノを使わなくてはならず、現状ではとてもそんな気持ちになれないあの部屋を片付けたかったのである。
またまた倉庫化が進んでいた部屋であった。
やはりあまり人が入らない部屋というのは、物が増えて荒むものである。
年に1度か2度、意を決して片付けたりするのだが、どうしてももとに戻ってしまう←この言い方が、基本「倉庫」と認めていて悲しいが。
爪先立って物をよければピアノまではたどり着けるが、ピアノの上には空のタバコの箱がどっさり乗っているうえ、汚らしく灰とタバコを包んでいたフィルムが飛び散っている。
タバコを吸える部屋をここだけにした結果、娘ぶー子がただでさえ散らかったこの部屋に彩りを添えてくれたのだ。
床にはバザー行きの皿、服、小物が山になって積んであり、なぜかクーラーボックス、梅酒(何年経った??まだあるのだ。濁っている)、工具入れ、ゲームの攻略本、布団叩きなどが乱雑に散らばっている。
音楽室なのに肝心なキーボードは壁に立てかけられ、粗大ゴミの横で小さくなっていた。
萎える。
新曲の練習には、かなりのエネルギーを要するのである。
こんな部屋ではどこかの原発のように、エネルギーが流れ出て行ってしまう。
しかし私は、手帳を使い出してから初めて「時間を持て余す」という状態になったのだ。
簡単に片付いたからではない。
にっちもさっちもいかなくて、呆然としていたのである。
バザー行きの山は、そもそもここにバザー行きのコンテナを置いていたのだから間違いではないのだ。
ただ量がべらぼうに多いだけで、定位置といえばちゃんと定位置にあるのである。
攻略本もある意味バザーだ。
つまり、古本屋行きも、とりあえずここに置く事にしてあったのである。
蹴っ飛ばされたようで散らばっているが、じゃあどこに持って行く?と言われても、答えはここなのである。
そうなのだ、ここは「どこにも置けないから」という理由で一時的に物を置く倉庫となっており、他にいくところのない家なき子ばかりが置いてあったのである。
私はピアノのイスに座って、長い間考え込んでいた。
エネルギーがどんどん流れ出ていく。
「保留」。
まるで東電が苦渋の決断をしたように、私もこの問題から一度手を引くことにした。
時間はどんどん過ぎていくのである。部屋が片付くのを待っていたら、練習する時間がなくなってしまう。
明日のスケジュールには、「バザー出しの準備」と書き込まなくてはならない。
長期戦だ。
原発の修復とどっちが早いだろうか。