人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

2冊目と言っても1冊目の続きとは限らないのだ

「とうとうほとんど使わないうちに、手帳が終わってしまった・・・。」

終わったというと使い終わったような響きだが、年が変わり、2010年が終わってしまったので、日付の入った手帳の役目も終わってしまったと言う事である。

この頃の手帳はどんな月からもスタートできるようになっていて、私が買ったものは10月から始まっていた。

「手帳を上手く使って自分を変える」というような記事を雑誌で読んで刺激を受けたのだが、刺激を受けたのは確か年度初めの4月であった。

手帳を買うまで半年もかかった事になる。

ここで手帳が無駄になる予感がしない私は馬鹿である。

10月と11月はやる気に燃えていたのだろう、半分ほど予定や目標が書き込まれていた。

しかし11月にも12月にも「衣替え」とかかれている上に、12月に衣替えが済んでいたようなタンスだった記憶がない。

1月になるともう何も書き込まれず、2月には例の「頑張った点数制」の前身、「頑張ったかな○△×制」の結果が1日書かれていただけである。

3月から10月までは全く記入はなし、11月には「○△×制」が立派に点数制になって、12月とともに数日だけ結果が書かれていた。

1月はまた何も書いてないが。

下らない1年であった。何もできなかったという事を、形に残してしまった。

ただ、点数制度の方は実は定着しつつあるのだ。

手帳に書くのは止めて、カレンダーに書き込むようにした結果である。

私はコンスタントに手帳を広げる、という事すらできない事が分かった。

ところでこの手帳は、月間で予定を書き込むページの後に、週間のページもあったのだ。

こちらもほんの数回ばかり予定が書いてあったが、恐らく書いただけでそれを実行しなかったのだろう、いまだにその部分に変化はない。

最後にメモのように使えるページもあるが、「規則正しい生活」だとか「健康的な生活」だとか「飲まないメリット」だとか、もう今となったらちゃんちゃらおかしい事ばかり書いてあった。

私は思いついたり目標を立てたり決心したりするのは得意だが、それを実行するのがもの凄く不得意なのである。

思いっぱなし、立てっぱなし、決心しっぱなし、である。

その残骸がこの手帳だ。

1冊無駄にしてしまった。もったいない。

先日の停電で(あえて停電と言う・笑)、これまで無駄にした手帳がもったいなかったので、ひたすらカッターで切って全てメモにしたばかりである。

その上、普通のメモももらったりおまけについてきたりして余っているのである。

「いらない紙をメモにする」という難易度の低いものに限って実行力があるために、家中メモだらけであった。

「とうとうほとんど使わないうちに、手帳が終わってしまった・・・。」

もったいない事をしてしまった後ろめたさと、全く活用できなかった不甲斐なさで思わず言葉に出てしまった。

「ん?手帳欲しいの?あげるよ、1冊あるから。」

そこにいた娘ぶー子がすぐに返してきたが、そういう意味ではないんだよ、ってかアンタも使えよ手帳、活用せい。

しかしぶー子曰く、「もうこの手帳はダメ」と思ったら全く使う気にならないとの事で、このままじゃ捨てるだけだからと言う。

性懲りもなくもらったが、それを今日使ってみようかと開いてみたら、なかなか使い勝手が良くてテンションが上がってしまった。

これは!!今年は私、変われるかもしれないッ!!

ぶー子がこの手帳を見限った理由の一つに、「テンション」というものがあった。

新しい生活を始めるのに、この手帳じゃテンションが上がらないと言うのだ。

何を訳の分からん事を、物にあふれた時代に生まれたバチあたりめが、と思ったが、これは一理あるかもしれない。

生まれ変われるか!?

ぽ子、2冊目の手帳に突入。