理解してもらおうと思うから、辛くなるのだ。
違う、そうじゃない、と伝わるまで言いたくなってしまう。
しかしそもそも理解しようとしない人には、どんな言い方をしても伝わりはしない。
ムキになればお互いにストレスで、つまり何を言っても無駄、誤解は誤解のままにするしかないということになる。
他人に対してはまだそれができても、どうしても身内には厳しくなってしまう。なぜ分からない、なぜそうなる、分かってくれ、とつい欲をかいてしまうのである。
父はどうやら、私は暇人だと思っている。
仕事もしていない、子供も家を出た、そう思われても仕方がないと思う。
確かに時間の融通は利く。自由はある。でもそれは断じて「暇」とは違うのだ。イレギュラーが入れば、そこでやるべきことは持ち越され、溜まっていく。それを消化するのは自分である。その結果、溜まりに溜まって首が回っていないのが現状だ。持ち越し分の消化がイレギュラーになり、それがまた次の持ち越しを作る。エンドレスなのだ。
父にこれを説明するのはホネだ。まず人の話を辛抱強く聞けないし、ハナから暇人と思っているからまるで伝わらない。「お前、だって忙しいんだろ?」とよく言われるが、それは「お前、だって暇なんだろ?」と言っているようなものなのである。
まん防が明けた途端に「デーブイデーが見れない」と呼び出される。DVDの見方なんか分からないし、そういうのは苦手だと言っても、やはり伝わらない。
まぁしばらく会っていなかったのだ、きっかけが欲しいのだろうが、この調子で事あるごとに以前のようにホイホイ呼び出されると、私も「暇ではない」ことを理解してもらいたくなるのである。
そして何より、年老いた親を邪険にしているような気持になる罪悪感。
ホイホイとは言っても、せいぜい多くて2週間に一度程度だ。
男86歳にして不完全とは言え家事全般ひとりでこなし、親孝行ならぬ子孝行な親ではないか。
家に行けばご馳走を作り、部屋やテーブルのセッティングをし、ワインを振舞ってくれる。
そこなのだ、有難いが毎度それでは時間が惜しくなる。のんびりする時間がない訳ではないが、のんびりすればその分だけやるべきことが蓄積されていくのである。たまにならいいが、今はブログの引っ越しという大仕事を抱えていているところなのだ。何とかもう少しコンパクトにして欲しいところだが、どう伝えたらいいのか分からない。
ご馳走出すな?テーブル動かすな??
そんなことを考えていると、何もかもが面倒になってくるのである。そんな自分の薄情さが嫌で、気が滅入る。
「お前食べたことあったっけ?あの、鶏のなんだ手羽先の中に肉の入ってるやつ。」
手羽先餃子ね、一袋貰ったことあるよ、あなたから。
「お前が来るって言うから買って来たぞ♪」
気が滅入っている。