時代の変化により、紙の印刷物は減ってきている。
領収書や冊子の類も、ネットで管理されるようになってきたのだ。ゴミが減って助かっている。
しかしまだしぶとく毎月やってくるものもあるのだ。J:COMの番組案内。
あの大量の番組のスケジュールが紙に収まっているのは私などのの世代としてはありがたいところだが、テレビを見ないのである。番組表も必要ない。大きめのA4版、ちょっとした雑誌である。そういう観点で読めばそれはそれで読み応えがありそうだが、時間がないのである。読むことはない。つまり、いらない。
いらんものが毎月やって来るのだ。袋を破って広告を抜いて、紙類の処分行きスペースへ。毎月の行事だ。
読まずに捨てるという行為は、着ないで捨てる、食べずに捨てる、使わずに捨てる、といったことと同じで、どこか傲慢な行為である。いつも何となくちょちょっとページをめくるようにしている。面白そうなものがあれば、ちょっと読む。
そんな風にして見つけた記事だ。ブログ用にとっておいた。ネタがないので、ここに出そうと思う。
「かっこいい」とは何か?
11人のミュージシャンが、青山のスーツを着てそれに答える。スーツの青山とのコラボであった(笑)
ウエノコウジ:「人柄は音に出る。だから、おれは”カッコよく”ありたい。」そんなものなのか?私は音で人柄までわからん。恐ろしいことを言うでない。
IKUO:「一つのことに偏らず、バランスを維持すること。」野菜も魚も食べましょう、みたいな?
アヤコノ:「肩書にとらわれず人と接することができる人はカッコいい。」というか、肩書とらわれて人と接することが、めちゃくちゃカッコ悪いような。
UNCHAIN:「カッコよさとは。自然体で力を入れすぎないこと。」なるほど、逆がカッコ悪いのか。不自然に力を入れすぎる。カッコ悪い。
ATSUSHI:「一生懸命やっている人はカッコいい。」まあそうでしょう。そうでしょうけど、このセリフがあまりカッコ良くない。
百々和宏:「カッコつけていない人ってカッコいい。」何だか訳分からなくなってきたぞ。プラマイがマイ、マイマイがプラ、でもこれは、マイナスがプラ?カッコいいのか?悪いのか?
あいにゃん:「できる可能性があることに向かって突き進む人はカッコいい。」どの言葉も、考えすぎるとドツボにはまる。そのまま受け取るにはあまりにもそれだけの言葉である。深く考えすぎた。哲学の域である。できる可能性とは。突き進むとは。そしてそれがカッコいいはなぜなのか。カッコいいとは。そもそも、カッコよくある必要はあるのか。
ナカシマシンペイ:「関わった人にとって”プラス”になる。そんな人間。」なるほど。そんな風になれたらいいね。私には害しかないような気がする。
寺岡呼人:「カッコよさとは”いくつになっても恥をかけること”。」ダメです、私にそんなことを言ってはいけません。もうほんと、これ以上の恥は勘弁してください。恥のない人生を生きてみたい。そっちの方がカッコいいに決まっている。
すずきゆきこ:「気持ちの矛先を他人に向けない人はカッコいい。」、共感するが、気持ちの矛先を他人に向けるような幼稚な人間も、そうそういるものではない。大概の人はカッコいいということになる。
さて、一番カッコいいと思った言葉はコチラ。
増子直純:「カッコよさとは、自分の美学に沿った”やせ我慢”。」
「やせ我慢」と「カッコよさ」という相反するものを、「美学」を通して並べているのだ。
言葉の響きのカッコよさもあり、シビれてしまった。
美学に沿ったやせ我慢。
そんな生き方をしてみたい。