結局昨夜は、酔いもしない、頭痛も取れない(むしろ悪化した)という、最悪のシナリオであった(笑)早々に寝た。
そのお陰で、スッキリとした目覚めである。
今日は成田へ、演奏会に行く予定であった。
夏に銚子に行った時のことが思い出され、6時に起きて7時には出なくては、と勝手に考えていたが、調べてみたらそんなに遠くはなかった(笑)
諸事情でダンナが行かれなくなり、一人旅である。
抜け作の私だが、滞りなく着いた。ネタなし。
演奏会は、クラシックである。
以前私が所属していた合唱の指揮をしていた、彼の演奏会だ。
私が最後にクラシックのコンサートに行ったのはいつだっただろう?
良く覚えてないが(というほど、遠い)、20年ぐらい前に第九のコンサートに行ったのが最後ではないだろうか。
寝た(笑)
常々思うが、なぜ第二楽章はああも眠くなるのだろうか。
そしてその時の感動など、思い出せない。
にわかリスナーなど、合唱までの道のりが遠すぎて、あまりにも他がオマケ過ぎたのである。
それが最後だったので、正直、少々不安はあった。演奏ではない。自分が。
しかしこの20年の間にとりたててクラシックを聴いた訳でもないのに、なぜこんなに感動したのだろうか。
まずはビバルディの「四季」から、「春」と「夏」。ぶっちゃけどっから夏だか分からんかったが(笑)
弦楽器の圧投エというのか。ソロのグイグイいう音色、全体でザッザッという迫り来る音色。
ゾクゾクした。
「秋」と「冬」は、タンゴ楽団によるアルゼンチンタンゴの名曲からとのこと。
ピアノ、コントラバス??、アコーディオン、バイオリンの4人での演奏。
クラシックからタンゴへとガラッと形態は変われど、どこか通するものがある不思議。
物悲しい調べに、4人編成ながらの圧投エが良かった。
この後に、プチオーケストラでの交響曲40番、モーツァルト。
クラシックを語れるほど全然聴いてないのに言うのもアレなんだが、モーツァルトはあまり好きじゃない。
この時代に於いて天才奇才というものは感じないし、別に普通のクラシックという位置づけであった。むしろ、優等生過ぎて、魅力を感じなかったというか。
交響曲を聴いて、その認識が変わりつつある。
まぁ好みの問題なのだろうが、私はドラマティックなものが好きなので、「交響曲」という形態になったことで、私の好みに近づいたのかもしれない。
いずれにしろ、どの曲も楽しんだEE:AEACD
そして、新しい扉を開いた気がする。
もっと生で、クラシックが聴きたくなった。
今回の演奏会は、千円である。千円で、こんなに感動できるのである。
地域の無名の楽団でいい。
気軽に色々聴いてみたいと思った。
そして家に帰り、ひとり飲んでいる。ダンナはライブだ。
昨日の分を取り返すように飲んでいる。
ひとり、酔った。