人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

新しい習慣

三日坊主になるかもしれなかったから、今日まで黙っていたが、実は先週あたりから始めてみた事がある。

「人間のクズ」というしょうもないタイトルをつけて始めたブログだが、今では2度寝をしないでゲームをするようになったり、平日に酒を飲むのを止めて読書をしたり、休日はウォーキングをしたり、実は少しずつ立派な人間に近づいている気がしないでもない。

そこでもうひとつ、欲をかいてみた。

きっかけはダンナの「それはもったいない」と言う言葉だった。

いつの週末だったか、久しぶりに2人で居酒屋で飲んだ時の話だ。

酔いが回るにつれ私達の舌も滑らかになり、実に色々な話をした。

ダンナの職場の使えないオジサン連中の話、

若いやつらの気の利かなさ、

ISOについて、

仕事に対する姿勢。

そんな堅い話から、

これからの目標、

やりたい事、

理想の人間像。

そこから音楽へ。

今さらながらツェッペリンは素晴らしい、と、ひとしきりあの曲のどの部分がどうだとか細かく分析しながら褒め称えた。

俺もギターが楽しくて仕方がない。

ダンナは毎週土曜日、クラシックギターを習いに行っている。

もう5年ぐらい経つか。

もともとはバンドでギターをやっていて普通に演奏はできたのだが、やはりクラシックの方が奥が深いのだろう。

練習すればするほど、前進できる。

だから練習が楽しい、そう言った。

それは良いことですね。

ところでぽ子も、昔はピアノを習っていた。

やめてからは趣味で好きな曲を弾くか、バンドで簡単なパートを弾くかぐらいであったが、今ではバンドも全く活動しなくなり、趣味でピアノに向かうのも、年に数回だ。

しかし、昔練習して刷り込まれた曲というのは、意外と覚えているものだ。

例えば、結婚した当初練習して良く弾いた、リストの「愛の夢」、バッハの「主よ、人の喜びがどーとか」や、ラフマニノフのズーンドーンドーンってヤツなんかは、もうサッパリ弾けない。

なので時々趣味でと言うと、ブルグミュラーの25の練習曲、つまりお子様の練習曲なんかを弾いているわけだ。

リストにしろショパンにしろ、また曲を練習するところから始めればいつかは弾けるようになるのだろうが、コンスタントに練習する時間も気力もなかったのだ。

そこでダンナの「もったいない」発言だ。

1日10分でもいい。指を動かせないか?

時間が欲しいと思ったのは、ビリーズブートキャンプがはやった頃以来だ。

あれも1日30分という話だが、30分、不可能である。

午前の家事の時間も、夜仕事から帰ってからも、どこにも余った時間なんてありゃしないのだ。

余っていたところにはゲームとブログの更新を、隙間なくキッチリとはめ込んでしまったからだ。

でも10分か。それぐらいなら何とかなるか。

そこで思い当たったのが、朝のしょうもない20分だ。

ダンナが仕事に出るのが7時20分、娘ぶー子が起きて来るのが7時40分。

この間の20分が、誰も他にいないため緊張感がなく、ダラダラとブログチェックをしたり不必要な検索をしたり、急ぎもしない家事を中途半端に手をつけたりしていた。

決まった。

もうその時点で私は頭の中で、「英雄ポロネーズ」を華麗に弾いていた。

そして1週間が経った。ちゃんと欠かさず練習している。

分かる人にしか分からない書き方で申し訳ないのだが、私はまず、ハノンで指の訓練をして、次に何か昔弾いた教則本を、と、ソナチネアルバムを最初から弾く事にした。

私がピアノをやめる頃弾いていた、教則本だ。

このソナチネが、指がもつれて弾けなくなっていた。

弾けない、と言うか、タンタンタンタンというリズムが刻めず、ターンタタン、とシンコペーション気味になっている。

頭の中では弾けているのだ。昔のままなのだ。

しかし指が思うように動かない。

そのうち調子が戻るだろうとそのまま数日弾いていたが、情けないぐらいにカッコ悪いので、無理はやめてもっと簡単なものにすることにした。

しかしうちに今ある教則本だと、それ以上のレベルか「バイエル」になってしまう。

バイエルは、ビートルズの赤盤、青盤のように、赤、黄の2冊で前編後編に分かれている。

うちにあるのは1冊にまとまっていたが、前編はもう幼稚園のお遊戯レベルである。

なので後編から始める事にしたが、それにしても小学生低学年レベルである。屈辱。

さすがに簡単なので、サラッと弾いたらどんどん次に進んでいたが、それも怪しくなってきた。

ここでも指がもつれてうまく弾けないのだ。

ぽ子39歳。

毎朝バイエルを弾いています。