私は良く、ふと、目が覚める。
眠りが浅いからなのか、ふとした拍子にベッドの中で目が覚めることが多いのだ。
外はもう、明るい時もある。
暗い時もある。
私は反射的に、腕の中を見る。
そしてそこに、エルが眠っていることを確かめる。
「永遠の10代」などと呼んだりしているこの子は、病気をしたせいか体も小さく顔つきも幼いままだ。
子猫のような顔つきで、ぷう、ぷう、と寝息を立てて寝ている。
私はたまらない気持ちになり、覆いかぶさるようにして寝たままエルを抱きしめる。
永遠に、このままでいたい。
神様、どうかこの子を私から奪わないで。
その願いは、叶わない。エルは必ず死ぬのだ。私はいつか必ず、この子を失うのである。
私はちょっとした童話のようなことを考えてみた。
すべてを失う代わりに、エルとふたりで永遠の命を授けられたらどうだろう。
それは甘味な空想であった。
私には、大切に想う人がたくさんいる。
それでも相手は人間だ。一緒にいれば、必ず摩擦は起こる。
上手く暮らしていくには我慢という思いやりを持ち、傷つけ、傷つけられながら荒波を乗り越えるようにして日々を重ねていく必要がある。
それもいい。私達は人間だ。そうやって成長し、すり合わせて形を整えつつ、歩んでいく。
人として生まれたからには、成長し、変化する喜びがある。
しかし、そういった一切の呪縛から解き放たれて、ただただ本能のままに生きる愛猫とふたりで永遠に生きていくことは、どんなに自由で幸せなことなのだろうか。
エルは私に愛情以外のものを求めない。
私は精一杯の愛情を捧げる。
ただそれだけなのである。
そこに死の不吉な予感もなく、無邪気に愛し合っていればいいだけの世界。
エルは永遠に、子猫の表情で私のそばにいる。
永遠に、私の腕の中で眠る。
年金もローンも肝機能の数値も洗濯もない。
そこにあるのは、純粋な愛のみなのである。
私は涙が出そうになった。私はエル以外の全てを失っても構わないと思った。
物語は続く。
私達はこうして100年、200年、と暮らしていく。
終わりのないハピネス。
ところがそこで気づく。ハピネス?
終わりがない、ということは、ハピネスなのだろうか。
私はエルにご飯をあげ、眠くなったら一緒に眠り、ピアノを弾き、本を読み、歌を歌い、自由に過ごすだろう。
300年。400年。
私はそのうちやりたいことすべてをやり尽してしまうだろう。
やがて、同じような毎日の繰り返しになる。
来る日も、来る日も、同じ日が繰り返される。
そしてそれからも永遠に。
私は自分の愚かさに気付き、この物語を終わらせたいと思うだろう。
しかしこの世界にたったふたりきりなのだ。私が先に逝けば、エルだけが永遠にひとりぼっちで取り残される。
この子をこの世界に置いていかないためには、私がこの子に手をかけるしかないのである。
永遠なんていうところに、幸せなんてないのだ。
限りある命を、悲しみも含めて、この世界で全うする。これこそが、唯一の幸せなのかもしれない。
私はエルを看取る。
エルも、姉妹猫も、ダイも、墓に送り出す。
生きている限り、私より先に逝く全ての人達との別れに耐える。
失う事よりも、永遠に終わらない事の方が不幸なのかもしれない、と思ったのである。