著者には申し訳ないが、私はこういうのは大っ嫌いである。
読む本がなくなったので、娘ぶー子のところから拝借してきた本だ。
前回読んだ本は「心配事の9割は起こらない」だが、最近はこのように数字で惹きつけるのが流行なのか、本屋には何%、何割、というタイトルの本がたくさん平積みされていた。
結果的に私も踊らされた一人だが、こうなると流行りもマニュアル化されているようで、面白くない。
この本も、「言葉を印象付ける」という、マニュアル本であった。
コピーライターという職業柄、インパクトのある言葉作りに四苦八苦してきた経験から、印象的な言葉作りをマニュアルにしたという。
「こうすれば言葉は感動的に伝わる」といくつかの方法を示し、それは相手の「NO」も「YES」に変える力があるという。
誰でも簡単にすぐできる、今からどんどん実践して人生変えちゃおう!みたいなノリだ。
確かに、マニュアルとしては正しいことを書いていると思う。相手の返事を「NO」から「YES」に、変えることもできそうだ。
しかし言葉とは、そういうものなのだろうか?
感動的な言葉とは、マニュアルに沿って創られると私は思えない。そんなものがあるから、本屋の売れ線も画一化されるのである。
計算のない、飾らない、その人の言葉だから、感動が生まれるのである。
私が繰り返し読むブログや頂くコメントにも、キラキラするものを持っているものがたくさんあるが、どれもその人らしさがその輝きを生んでいるのだと思う。
以前、とあるブログの文章を、若干端折って絵文字もそのままに自分のところに載せているのを見たことがあるが、ショックだった。
人の輝きを盗む、言霊泥棒である。
文章は上手い下手ではない、個性だと私は考えているのだ。許すまじ行為である。
極端な話、この本は「泥棒」とまでは言わないが、レプリカの作り方に思える。
言葉に思いやりは必要だが、計算は必要ないのではないか。(本人も言っているが、言葉を職業にしている人が、仕事として計算することはあるとして。)
私は、自分が話している相手が、私の返事をコントロールするためにマニュアルに沿って喋っていると考えるとゾッとする。
文章も然りだ。
そう考えると、この本自体が著者のマニュアル通りにできていて、騙されているような気持ちになった。
「NO」を「YES」に変える必要なんかない。
「NO」といったら「NO」なのである。
ぽ子のオススメ度 ★☆☆☆☆
「伝え方が9割」 佐々木圭一
ダイヤモンド社