便宜的に私はそれを「神」と呼んでいるが、それは書になっていたり奉られたりしているお馴染みの「神」とは違う。
これは私のオリジナルの神だ。
病気を治してくれたり、救いの手を差し伸べてくれたりなんかはしない、ただほったらかしの怠慢な神である。
では、なぜにして神?というと、彼は私の人生を創っているからである。
辛いことも面倒なことも、ネガティブなことはちゃんと自分のためになるよう、設置している神なのである。
まぁつまり、自分が生きやすくなるために自分で作り出した存在なのである。
それは些細なことにも応用される。
走ったのにバスに間に合わなかった→余裕を持って行動するべきだと気づかせる。
目当てのものが売り切れだった→そのお金で買うべきものがあるはずだ。
そんな風に考える習慣ができると、つまらないことに執着しなくなってくるのだ。
抗わず、神の創った道を歩けばいい。
God makes no mistakes。
だから Born this way、と。
前置きが長くなったが、どうやら風邪を引いたようだ。もちろんこれも、神の取り計らいだ。洗濯はやめてゲームをやった。
薬を飲めばかなりラクになるので、最低限の家事と最低限のグータラでバランスをとっていたのだ。
それにしても風邪を引くと思いもよらぬものを食べたくなるもので、朝は梅がゆ、昼はリゾットである。
リゾットの後にまた風邪薬を飲むと、魔法にかかったように眠くなり、そのままソファで寝てしまったのだ。
起きて「最低限の家事」に取り掛かったが、キッチンできゅうりを切りながら、「こんなもの、食べたくなんかない」と気づく。
そのとき作っていたのは、刺身ときゅうりの和え物であった。
違う、友よ、そのような調べではない。では何か?
猛烈に甘いものを欲していた。それも生菓子限定。
どうしても食べたい。
しかしさすがに残業で12時に帰ってくるダンナに頼む訳にはいかない。
自分で行くしかないのか。
神よ。私は今、こんなにも生菓子を欲している。
風邪を引いて嫌々きゅうりを切っているのに、二度も買い物に出なくてはならない理由がそこにあるのですね。
切ったきゅうりもまな板も包丁もそのままに、私はエプロンを脱いでスーパーに向かった。
閉店間際のスーパーには大した生菓子もなく、神の真意を図りかねたが、勘ぐったところで分かりはしないのでついでの買い物をしていく。
千円以上買うとシールがもらえるので、ワインと弁当の材料を買って千円にした。
このシールを集めると、シュピゲラウのグラスウェアが格安で買えるのだ。
シュピゲラウなど知らんが、このグラスウェアの中に、ダブルウォールのグラスがあった。
これまでボダムのものを3セット買い、あっという間に全部割れてしまい、もうダブルウォールから足を洗うつもりだったのだが、このシールが集まれば2個セットがたったの900円で買えるのである。
ところがいらないと言う人が多いのか、レジで「くれ」と頼まないと出してくれない事が多い。
今日も危うくもらい損ねるところだったが、「シールをください。」と言うと、「はい、今日は5倍の日なので5枚ですね。」と言うではないか。
神のすることに間違いはないのである。
私は自信を持って、失敗をしたり面倒をしたりすればいいのだ。
さて、風邪の方は、喉の痛み、鼻水に、咳が加わってきた。
神は今度、何をたくらんでいるのかしら。
マンガ読んで寝てろってことだろうかEE:AEB80