専業主婦、第1日目である。
で、まず何をしたのかというと、中本の朝定食を食べに行ったと(笑)
ダンナが休みをとって一緒に出かけたので、まだ休日モードだ。
中本の朝定食は平日の9時~10時しかやっていないので、こうでもしないと食べられないのである。
先日その内容を知ったらどうしてもどうしても食べたくなり、ダンナが繁忙期に入る前にチャッと行っちゃおうという事になったのである。
ついでに、この間行かなかった展覧会。
そして六本木の会場から東京タワーまでウォーキング、という予定であった。
う~ん、素晴らしい。
全部できれば。
中本の朝定食は、半ラーメンの他にご飯とカレーか麻婆豆腐のセットである。
カレー、麻婆、ご飯はおかわり自由で650円と言う安さで、味も人気店蒙古タンメン中本である、もちろん美味しい。
私もダンナもお腹一杯食べ、早速何もやる気がしなくなってしまった。
とにかく一度寝たい、今すぐに、と思ったが、そうなると後の予定がどんどんずれていってしまうのである。
止まるな、ぽ子。
とにかく眠かろうが苦しかろうが、前進するのだ。
六本木がどこにあるのか知らなかったが、新宿から1本で行けたのでちょっと感動した。
私のイメージだとそこは、都営新宿線だとか銀座線だとか地下鉄をちょこちょこ乗り換えないとたどり着けなかったのである。
外国人だらけで麻薬が横行しているような街だと勝手に思っていたが、先日行った江東区の区役所あたりと大して変わらなかったので肩透かしを食った。
国立新美術館はまだ新しく洗練された建物で、それ自体が展示物のようである。
シュルレアリスム展。
シュールレアリズムの絵画展だ。
ダリの画集を見て面白かったので、色んな人の作品を見てみたかったのである。
しかし難解過ぎた(笑)
シュルレアリスム
シュルレアリスム(フランス語: Surréalisme, シュレアリスム)は芸術の形態、主張の一つ。超現実主義ともいう。超現実とは「絶対的現実」「過剰なまでに現実」という意味である[1][2]。シュルレアリスムの芸術家を「シュレアリスト(仏: surréaliste)」と呼ぶ。
「シュルレエル(スュレール)」(仏: surréel; 超現実)と「イスム」(仏: -isme; 主義)からなる語であるが、日本においては和製英語流にシュールリアリズム、または省略してシュールと呼称する場合もある(本来はシュルレエルで一語であり、途中で切るべきものではない)。wikipediaより。
超現実
現実(約束事などに囚われた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。
彼等シュルレアリストが、コラージュや自動筆記といった偶然性の強い手法で作る作品などは一見非現実的だが、彼らは、主観や意識や理性が介在できない状態で偶然できたものや、そもそも意識の介在から解き放たれた夢の中からこそわれわれの普段気付かない現実=超現実が出現することを信じていた。wikipediaより。
分かんねーて(笑)
あまりにも世界観が突飛で、全く意味が分からないのである。
訳の分からない絵はコチラ。
しかしだ。
妙に惹かれるのである。
言うならば夢の中の世界か。非現実的な現実であり、どこか懐かしいような気すらしてしまうのである。
それは少し怖くて、その怖さがなぜかちょっと心地良い。
私は「夢(寝ている間に見る方だ)」という、あのムチャクチャでも成り立っている世界が凄く好きなのだ。
それに近い感覚を、感じるのである。
タイトルと絵の結びつきが全く分からないものも多かったが、私たちは長く生きていくうちに多くのものに縛られ、常識にとらわれ、表現する能力が退化してしまったのかもしれない。
猫は4つ足じゃないかもしれないし、血液は美しく蒼く輝くものなのかもしれない。
不思議な気持ちになった。
しかし、私たちは腹一杯。
全部見終わる頃にはすっかり眠くなり、足も疲れてしまってテンション激下がりだ。
東京タワーは中止、地元に戻り、酒飲んで帰ってきたのだった。
明日から、新しい日常が始まる。
自分に負けないように、具体的には、ちゃんとお掃除・お洗濯をしたいと思う。
・・・追記・・・
会場には、展示している絵のカタログ本も置いてあったのだが、断然本物の方が良い。
やっぱり実物を見れるなら見たほうがいいと思った。