人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

嘘じゃない!!

「ぽ子さんの歯医者、長いわね~~。」

最近ボツボツと言われるようになってきた。

1、2本に1年ペースである。

まぁ間隔を開けて通っている事もあるが、長い事は否めない。

あまりに長いので、歯医者と偽ってどこかでサボッてると思われていたら困るのだが、なぜこんなに長いのかと言うと、私が痛がるからである。

しかしこれは私に言わせれば医者の言い分で、私の言い分は「痛いものを痛いといっているだけ」である。

あんまり痛がるので最近は「そんなに痛いはずはない!」と取り合ってくれなくなってきたが、私は痛くないものを痛いと言っている訳でも大げさに言っている訳でもない。

痛いっつーねん、ホントに痛いんだっつーねん。

さて、次のステップに進むにはこの痛みが取れなくてはならないらしいのだが、痛いのだ。

毎回「痛い」と言っては帰ってきているが、もう治療が止まってから3ヶ月が経っていた。

「おかしい。ちゃんとできているはずだ。これを見ろ。学生たちの手本になるほど素晴らしい出来栄えなんだぞ。」

先生は3回目のレントゲン写真を見て言った。

「まれに神経の回路が複雑になっていて治療できないケースもあるけど、開業以来一度もない。もしそうなら抜くしかないんだよ。」

でも、どうもそういうケースには思えないんだが・・・、と言うが、その言葉の裏に「お前がビビリ過ぎなんじゃ、ボケ」という響きが含まれているような気がする。

違う、本当に痛い!

痛いんだけど、そんなに念を押されると揺らぐじゃないか。

こういうのって世間では「痛い」とは言わないのか?

ダメなら抜くぞ、と脅されて3回目だが、脅しにはなっていない。

それなら抜いて下さい、としか言いようがない。

しかし先生は待っている。

「痛くないです」と私が言うのを。

「その先生、ヤブじゃない?」

とうとうそんな風に言われるようになってきた。

ここの先生は、知り合いの歯科技工士から「いい先生だ」と薦められて通いだしたのだ。

1時間半かけて、久米川から西荻まで、バスと電車を乗り継いで。

私は洗脳されやすいし、人をマイナス評価でなくプラス評価するので、欠点を見ることがなかなかできない。

先生を信頼していたが、もしかしてただの頑固ヤブだったのか?

「痛いのはおかしい」というような事を言われる度に、だんだん不信感が湧き上がってきた。

おかしいのはアンタの技術じゃないのか?

私は口の中に人差し指を突っ込み、治療中の歯を上からギュウギュウ押してみた。

痛いか、ぽ子?

自分に問う。

本当に痛いのか?

念を押されて揺らぐ。

うーん、これを痛いと言うのだろうか。ギュウギュウ、んんっ!!

痛い!!ここ痛い!!

「痛いです、ここのところ、例えばこっちが前でこっちが隣の歯だとして、こっちじゃなくてこの辺が痛いです!!」

と言うような事を、いつもよりハ行が多くなった状態で、指を突っ込んだまま私は訴えた。

「通訳して。」先生が奥様に言う。

「全然わかりません。」奥様は冷静に答える。

「だからこっちが前でこっちが・・・」ムキになって言うが、「ハイハイハイハイ、もういいから、ハイ、指出して、はいはい!」と畳み込まれてしまった。

今分かったが、「隣の歯と接している部分が痛い」と言えば良かったのだ。

「もしかしたら歯茎かな?」

先生は新しい提案をした。

隣の歯との境目が、歯を埋めた部分と当たっている感じがあるので、そこをちょっと削ってみようと。

「そうそう、境い目境い目!!」

私はクイズの答えを言ってもらったような気持ちになり、興奮した。

ちょっと、と言ったが、ずいぶん削った。

そして言った。

「歯茎かもしれないぞ。掃除をしよう。」

はいはい、歯茎かもしれませんね。掃除して下さい。

しばしの沈黙の後、先生は言いにくそうに言った。

「麻酔は嫌だよねぇ、ぽ子さん。」

歯と歯茎の隙間の奥に棒を突っ込んで、ゴシゴシしごくのだそうだ。

しかし麻酔は痛いが、歯をいじくられる痛みに比べれば全然耐えられる。

ブスッとやって下さい。

その代わり絶対に効くように、バッチリシッカリと、と念を押した。

「これだけやれば、絶対に大丈夫。」

先生はタップリ時間をかけて麻酔を打つと、奥の部屋に消えた。

ゴシゴシは奥様の仕事のようである。

「じゃあいきますよ。」

そう言って細く曲がった棒を口の中に突っ込むと、ガシガシガシと音を立てながら歯を突っつき始めた。

「ひはい!」

「え?」

「ひ、ひはいっ、ひはいっっ!!」

痛いのだ、本当に痛いのだ。

奥様は席を立って奥の部屋に行き、「せ、先生、ぽ子さんが、ぽ子さんが、あの、麻酔効いてないみたいですけど!!」とどもりながら言った。

嘘じゃない、本当に痛いのだ。

先生は「そんなはずはない」と言いながら奥から現れた。

「・・・痛いんですー・・・。」嘘じゃない、本当に痛いのだ。

先生は呆れたように、「痛みに対する耐性が、普通の人と違うのかもしれん・・・。」と言って麻酔を追加した。

「歯を抜く時の量だ。」と豪語し、それに嘘はなくやっと先に進めたのであった。

結果、歯茎がメタクソに痛んでいたことがわかった。

治療中の歯と隣の歯の間に隙間ができ、そこからクソが詰まっていったらしい。

これで治療が先に進む希望が出てきた。

しかし、万事がこの調子なのだ。

そういった訳で、1年がかりなのであった。

外メシとセットにしているので何ら不満はないが。