「じゃあちょっと出掛けてくるね。あれ??携帯がない。」
『携帯がない』
『携帯忘れた』
このシチュエーションは、本当に私の身の上に良く起こることだ。
なのでこれを耳にし続けている家族の反応は、「呆れ」を通り越して「怒り」に達し始めている。
しかし忘れっぽいのではない。
私は同時進行で色々な事を考えているので、携帯のありかなどという日常的で刺激のないことは時々ちゃんとインプットされない時があるだけなのだ。
しかし携帯に限らず、多々起こる。
で、今夜もそれが起こったわけだ。
「携帯がない。」
「だからさっき言ったッ(怒)こんな所に置いておくとまた忘れるよって!!」
あーあー、そうでした、確かにそんなようなこと聞いた気がする。
でも・・・・。
「・・・で、どこでしたっけ??」
「(怒)」
携帯を持ち、玄関に向かおうとしたらそこでダンナに言われる。
「あ、後で構わないから、この間のバスカード、返してもらっていいかな?」
ギク。
バスカードを借りたのはおとといである。
借りたのは確かだが、実際に使おうと思ったらなかったのだ。
だから家に忘れてきたのかと思ってたのだが。
「ちょっと待ってね。」
そんな変なところにあるはずはない。
おとといの事である。
忘れてきたのなら、そのまま目立つところにあるはずだ。
しかし、ない。
こういう時、ないのがぽ子なのである。
「ごめん、後でちゃんと探すから。」
とにかく今は出掛けなくてはならないのだ。
すると今度は・・・、
「・・・鍵がない・・・。」
ダンナに「ごめん、鍵、すぐ出る??」と聞いたが、「え?あるけど・・・。」と明らかに怒っている様子である。
この後の車では、ムッとしてほとんど喋らなかった。
家に帰ったらすぐにバスカードと鍵を探し出して汚名返上を図ろうと思ったのだが、どちらもない。本当に。
必要度の優先順位なら家の鍵の方が上だが、ダンナの機嫌を考慮すると、緊急度ではバスカードが上である。
しかし、ないのだ。
実は私は過去に、SUICAも失くした事がある。。
この「また、やりやがって」というプレッシャーから逃れるために、何としても見つけ出したい。
で、執念で見つけ出した。
それは何と、車の中に落ちていたのだ。
何でそんな事に。
結局見つかったが、「そんな所にまで落としやがる不届き者」という新たな烙印が押された事だろう。
次は鍵だ。
実はこれは心当りがあった。
今日は家に帰ったらいつもとは違い、寝室に直行したのだった。
そこで着替えをしたので、多分その時に寝室で首から外してどこかに置いたのだろう。
ちなみに「首から外す」というのは、あまりにもしょっちゅう鍵がないと騒ぐので、首から提げざるを得なくなったのだ。
鍵はこれからである。
見つからないと、せっかくのバスカードの快挙も無駄になってしまう。
最悪の場合を想定して、ちょっと今から家事に勤しもうと思う。
それぐらいじゃ済まないだろうけど(泣)