虎ノ門の愛宕神社へ。
エルがまだ生まれたばかりの頃、何度も生死の境をさまよっていた際に、神頼みに行った神社である。
お陰様でエルは生きた。そして未だ元気である。
そんなことで、健康・生死に関しては信頼を置いている神社だ。
しかし近くもないので、こうして出向くときはたいてい何らかの神頼みをしようという時ばかりだったりする。
もう家には年寄りばかりだ、健康も生死も不安しかない。これからは毎年行くようにするか。
心臓破りの階段。
都合のいい時ばかり行くのだ。せめてこれぐらいの苦行で誠意を見せんと。
虚弱体質だ。✕1.5倍ぐらいに盛って欲しい。
さて、今回ここに来たのは、特に具体的なお願いがあった訳ではない。
エルがもう高齢になってきたことで、お願いをしたかったのである。
・・・何を・・・?
できれば、長寿だ。
しかしお願いしようと思って、ふと気づく。長生きすればいい、って話ではない。昔話などだと、このような欲深いお願いをすると「病気で苦しんで死ぬにも死ねない状態」になり、結局殺してくれ、とまたお願いに行くような羽目になるパターンではないか。
では「まだ連れて行かないで」か?すると神はこう言うのだ。「良し分かった。『まだ』今年は勘弁してやろう。連れて行くのは来年じゃ。」
しまった、欲深いお願いをしたために、かえって寿命を縮めてしまった。
では「どうか健康でいられますように。」はどうか?
ここまでくると、この願いですら欲深く感じる。こんな願いをかければ、きっと神はまた昔話のように代償を負わすだろう。
今思えば、とてもポピュラーなお願いである。こう言っておけば良かった。しかし私はこの時いろいろ考え過ぎてしまい、結局エルの祈願ができなかったのであった。バカだ。
今回は足を怪我しているダンナが来られなかったので、もう1回行くつもりだ。チャンスはまだある。いや・・・・・、二度もお願いなんかに来れば、バチが当たってしまうのか??ダンナにお願いしてもらうしかないのか。
鯉がいなかった。バカンスですって。
階段を下る。結構急なので怖い。
登る時は体力的にキツかったが、下りは精神力が試される。
振り向かず、先も見ず、ただ淡々と一歩一歩、足元だけを見る。
あぁ最近そんなようなことをブログに書いた気がする。過去を振り返らず、未来を恐れず、今だけを精一杯生きる。
人生は階段なり。ぽ子。
近いうちにまた、この階段を上ることになるだろう。
その時まで、エルに何事も起こりませんように。