夕方のミッツのお散歩。
寒い日だった。
ワークマンで買ったモコモコのパンツと、古いけど温かくて手放せないダウンを着こんでいく。
家を出て通りに出るとまずミッツはしゃがむが、突然私の背後に向かって吠え出したのだ。振り向くと、いわゆる「犬知り合い」とでも言うか、いつもミッツに声を掛けてくれる男性がミッツを手招きしていた。
「分かるんですね~。」などと言いながら、その人にミッツを近づける。犬好きの人のようで、慣れた手つきでミッツを撫で始める。
この人も、犬飼いさんだ。珍しい色のポメラニアンを良く連れていた。
「この正月に死んでしまって。」
「えっ。」
突然のことで、何と返していいのか言葉が見つからなかった。
このところこのような「小さな訃報」を聞くことがあり、もうそう遠くない未来にエルとの別れも訪れるだろうと気持ちが塞いでいたところである。
もう17歳。食べても食べなくても、不安だ。
良く寝ても目が覚めていても、心配だ。
一日に何度も、生存確認をしに探し回る。
全てが死に繋がっているようで、怖かった。
そしてそれがこの人に、現実となって起こったのである。
それはまるで私への警告のように聞こえる。
そこらじゅうに死が待ち構えている。
一体なんのために、私は、人は、生きるのだろう。胸が引き裂かれそうな思いだ。ジワジワと、目が潤む。
その時。
「よーっ!」
全く私の想いなど顧みない、陽気な声がした。見ると、バンド仲間が車を停めてこちらを向いている。
「犬も飼ってたんだ!」彼は、猫飼いだ。凄く可愛がっていて、しばらくは良くその子の様子を伝えるようなメッセンジャーが来たものだ。
「明日ライブあるからさ、良かったら来てよ。」
社交辞令かもしれないが、黒く淀んでパンパンになっていた私にそれはプスッと軽く刺さり、スーッと中身が抜けていくような気がした。
フフッ、と心の中で笑い、じゃあね、と別れる。
神様は、いるのかな。こんなタイミングに彼を配置するなんて、確信犯だ。偶然として見逃すには惜しい。
横に流れる川を見ると、2匹のカモが泳いでいた。
ああ。
生きている。
大きな鯉が、たくさん泳いでいた。さっきの彼が名前を付けてエサをやっているらしい話を聞いたことがある。
妙に、美しく感じる。
川の流れ。
リードを引くミッツ。
生に溢れている。
この世はまた、生にも溢れていたのだ。
こんなシーンをどこかで見たような気がした。それは映画の「シンレッドライン」だった。
全く意味の分からない作品だったが、今、妙にシンクロする。
答えは出ない。
それはいつも掴めそうで、掴めないもの。
生きる意味。
それを考えるために、私達は生きるのかもしれない。