人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子54歳。

 

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魂の帰る場所

母のお墓の中には、母の骨と、叔父、祖父、祖母の骨が入っている。

中はきっと真っ暗でジメジメして、とても静かだ。

母の残骸は、そこにある。しかしもう、母はいない。それは残骸でしかない。

 

人は死んだらどうなるのか。

私は無宗教だしスピリチュアリストでもないが、この頃は「魂に返る」だろうと強く思うようになった。母と2匹の猫を看取り、自然にたどり着いた結論だ。

体は有限だ。消耗品であり、壊れやすい。

その中に魂は宿る。

どんな体も欠陥品だ。未熟で、自己中心的で。

許しがたいあいつも、そんな欠陥を持った肉体であるだけで、そこに入った魂さんはお気の毒様、というだけのことだ。そう思うと、死者には優しくなれる。

魂は、肉体と言うハンデを背負って人生を全うするのだ。

私自身も、この私の欠陥に苦しめられている。もっと上手に生きたいものだけど、私と言う肉体は怠惰で自分に甘く、何事をも成し遂げられないようにできているらしい。

終わらない戦いだ。

今日こそはと目覚め、今日も駄目だったと眠る。

こんな体も、いつかは死ぬのだ。魂は、重い鎧を脱ぎ捨てる。

 

私の周りには、「死んだら無になる」と考えている人が圧倒的に多い。

答えがないのだからそれも否定の仕様がないが、科学的に証明できないことはあり得ない、というのではあまりにも極端ではないだろうか。

こんな未熟な肉体が考え付くものが、果たして「全て」なのか。

本当はもっと世界は広く、肉体に縛られてそれを忘れているだけなんじゃないか。

母と猫の死は、私にそれを教えてくれた。

そんな気がしている。

 

つまるところ、墓なんてゴミ箱だ。

「そこに私はいません。」

魂の帰る場所。それはどんなところなんだろうか。

「分からないから楽しみなんじゃないか!」

バンド仲間は言った。