人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

親孝行は遠回り

あづい・・・。とうとう来たか。このままもう今年は来ないんじゃないかと期待したが、やっぱり夏は暑い。

そしてやっぱり夏はバテる。

いっそエアコンをつけてちゃんと動くか、エアコンをケチッて伸びているか、今年もこんなことに頭を悩ませる季節が来てしまった。

そのうえ先日の不摂生が祟ったのか、風邪気味である。

大したことはないが、咳と鼻水が止まらず寝不足だ。

しかしダルい、つらい、もう私はきっと夏に死ぬ。

あぁもう誰か夏、何とかして~~EE:AE473

そんな中、母をお墓に連れて行きましたEE:AE4DA

殺した訳ではない、やがて自分が入る容器を見に行きたいと言うのである。

昨日も体調がキツかったのでキャンセルしたのだが、もう申し込みの締め切りが迫っているというのでヤケクソで行ってきた。

まぁ近所の墓地でスケールは小さいお使いだが、車を出さなくてはならない。

何度も書いているが、私は「行ったことのないない場所」、つまり「私でも行き来できる保証のある場所」以外に車を出すことには、ものすごく抵抗がある。

路駐している車を避けられるか、一通の道はないか、駐車場は広くて空いているかなど、いちいち不安で仕方がないのだ。

なので今回はこの間の週末にダンナと練習してから備えるつもりだったのだが、飲んだくれ、酔いつぶれて死んでいたと。

自業自得だ、もう後がない。

母が墓を見るなどと言うのだ、娘は親孝行せい。

行く前にまず、墓地までの道をシミュレートする。

若干遠回りになるが、通ったことのあるコースを選ぶ。

それは車線の多い新青梅街道を最小限にして、片側一車線の東京街道を主に走るコースだ。

ところで母は年寄りである。

私が新青梅に入らず横断すると、「あらあんた、ここ曲がらないの?」とすぐに突っ込んできた。

ここは車線も車も多いから通りたくない、と説明するのだが、しばらく経つと、「新青梅から行ったほうが近いんじゃないの」、「そんな方から行くと遠回りでしょ」と不満そうに繰り返すのである。

その度に私は新青梅を走りたくないこと、新青梅から墓地に入ったことがないこと、そしてついに「私は下手なので走れないのです」という事まで言わされる羽目になった。

ところが東京街道に出る手前の道が工事中で、想定外の道を走らされる事になってしまった。

とたんに焦って頭の中は真っ白になってしまうが、車は走り続けているのである、気がついたら新青梅に出ていた。

母は「あんたこっちでしょう」だとか「ほら、新青梅から行けるのよ」と煽る。

分かっちょりますがなEE:AEB64場所は知ってるけど、行ける道と行けない道が私の中にあるんだっちゅーの!!

まるで母の提言に従ったように新青梅に出たのがちょっと悔しかったが、こうなったら新青梅側の入り口から墓地に入るしかない。

私の地図は、久米川から小平が繋がっていないのである。

しかし墓地の入り口は閉まっていた。

止まるわけには行かないからそのまま進むが、そのまま進めばどんどん墓地は離れていくし、すぐに左に入ってしまえば団地の迷路に迷い込むことになる。

「ほらあんた、そこ曲がれるわよ、左」「団地なんかないじゃない」、ええい、ちょっと黙ってくれんか、団地もちゃんとありますから、ここ地元ですからEE:AEB64

とはいえ、まっすぐ行ったら青梅である、だからここは新青梅街道なのである。

まるで母の提言に従ったように左に曲がったのがちょっと悔しかったが、すぐにまた新青梅に出たので右に曲がり、来た道を戻ることにした。

「ちょっとあんた、戻ってるわよ!?」

「戻らないと分からないから。もう1回やり直し。」

「えー!?もう時間ないから今日はいいわよ、じゃあ帰りましょう!!」

「霊園、すぐ右だから!!今見たでしょ!?」

グチャグチャ言っている間に東京街道に出ることができ、もうひとつの霊園入り口を目指す。

しかし、車で入ったことがないのでその一帯がどのようになっているのかが分からない。

不安だったので左折で入れるよう、若干遠回りをする。

「ちょっとあん・・・、」

「もー!!分かってるちゅーの!!行かれるけど行かれないの!!私下手なの!!」

歳をとった母に声を荒らげることはしたくなかったのだが、ついにキレた。

母は「あらもう、しょうがないわねぇ」というような事を言ったが、ビビッたのか顔は笑っていた。

行き先は母を収容する墓地である。

私はデカい声を出した事を後悔した。

すまぬ。

残った時間は仲良く生きていこうじゃないか。

母が申し込むのは樹木葬と言って、骨は粉にして土に還すというものであった。

母は、死んでしまえばその先は無であると言う。

遺骨や墓などにこだわる習慣は、母には馴染めないようだ。

それは私も同じような思いだと話していたのだが、「いっそここから流してくれてもいいんだけどね」と排水溝を指して言ってしまい、しまった、このタイミングでこんな事を言ったら「あんたもいっそここから流れては?」と言ってるみたいではないか。

母の死が近づいている事とは向かい合いたくはないが、母が安心してこの世を去れるようにしてあげるのが最後の親孝行になるだろう。

幸い今は元気でいてくれるが、あとどれぐらいの時間が残っているのだろうか。

綺麗な墓地であった。

抽選になるかもしれないが、母が永遠にあそこにいてくれたら嬉しい。