春。
土色の世界に、緑が芽生えてくる季節。
イヌノフグリ、ホトケノザ。名の知らぬ雑草たち。
こういうものを見るにつけ、なぜかときめいてしまう。
追憶。
近付いて、じっと見ていると思い出すのは、子供の頃だ。
土は今よりもっと近くにあった。
運動は苦手だったが、子供の頃は良く外で遊んでいた。
女の子同士ではままごとを良くやったが、そこで活躍したのが雑草だったのだ。
たいがいなんちゃってスーパーで売られ、なんちゃって母さんになんちゃって調理される運命だったが、使い方は無限大だ。綺麗な花は花束にしたり、アクセサリーにしたり。
草を見る。
ごっこ遊びに興じている自分にはそれは草ではなく、「素材」だ。何になるだろう?
その時のワクワクした気持ち。
それが、雑草を見る時の気持ちだった。今もそれが、残っているのである。
「うそこで」という言い方をしていたその意味は、「仮に」であり、「これ、うそこでほうれん草ね」のように、色んなものを本物に見立てたものだ。
アイデアの宝庫、なんでもありだった。創造の自由。
草花の息吹を感じながら私達は、自然に創造力を養っていた。
冬の空気。夏の空気。夕暮れ。
体で季節を、時間を、感じる。
雨が降れば、雨粒を集めた。長靴を履いて大きな水溜まりを探しに行った。
鬱陶しい雨も、ふとそんなことを思い出す時、魅力的に映るから不思議だ。
幼い頃の想いは、単なる記憶ではなく体に、心に、刻まれていることに気付く。
子供達には、外に出て欲しいと願う。
こういう体験をたくさんして欲しいと思う。
ゲームの世界は作りものだ。
肌で感じるリアルを、自分で創り出す楽しみを、体感して欲しい。
ゲーマーが言うんじゃ説得力もないね(笑)
そろそろ山でも登りますかね。
春が来た。