挫折。
クラシックピアノの練習を再開して、半年ほど経っただろうか。
私のスタイルは、指の訓練としてハノン、練習曲としてソナチネ、そして最後に好きな曲を課題曲として練習していたのだ。モーツァルトのトルコマーチ。
とにかく薬指が非力でいうことをきかず、納得いくまで待っていたらいつまで経っても進めない状況である。
もうソナチネの時間も惜しいので、練習はハノンと課題曲だけにしてしまった。
それでも、弾けないものは弾けない。
歳をとってしぶとくなったのか、このまま粘ることは嫌ではないんだが、しかしトルコマーチにこんなに時間を食っていたら、他にやりたい曲がいつまで経っても着手できないことになる。
そこで一度、考えた。
このままトルコマーチを頑張るか、達成感を得るためにもうちょっと易しい曲に変えるか、それとももう理屈抜きで「本当にやりたい曲」をやるか。
「本当にやりたい曲」はいくつかあったが、どれも難易度は高い。
そんなものは結局トルコマーチと同じ運命になるのではないかと思われたが、大きな違いは「本当にやりたい」の部分である。あぁ、あんなん弾けたら気持ちいいだろうなぁ。
諦めれば、それで終わる。
何も弾く前から諦めて終わることもないじゃないか。やるだけやってみるか。
漁師もカンパネラを弾いたのだ。私はかの漁師よりは下地があるし、曲はカンパネラよりずっと易しい。
私は課題曲を、「本当に弾きたい曲」に変えた。
そりゃあもう。
散々な始まりであった。思ったよりも全然弾けん。
そればかりでなく、私は恐れていた事実に直面せざるを得なかった。
衰え。
昔は、これだけ弾けばもっとできたはずである。それが、やってもやっても、という感じでなかなか先に進めない。
恐ろしいことに、もう私は衰え始めているのだ。もしかしたらそれはもうずっと前から始まっていたのかもしれないが、こんなに努力をしたことがなかったので気づく機会がなかったのだろう。
そしてそれは技術面だけでなく、体力面でも現れたので驚いた。
酷く疲れるのである。
ピアノって、こんな全身疲れてハァハァいうもの!?
かの漁師が私より有利な部分があったとしたら、それは体力だろう。いやマジでもうクタクタ。
そんなんでなかなか進まないが、少しずつ、進んではいる。
できなかったことができるようになっていくことには、中毒性があるのか。私は飽きずに頑張っている。
時間を開けると戻ってしまいそうなので、貯金を減らさないよう続けている。
完成など、まだ射程にない。一小節一小節を仕上げていくことを楽しんでいるところだ。
衰えを実感したのは辛いが、欲をかかずにある中で楽しんでいくしかないだろう。ピアノに限らず。
これが、これからの楽しみ方になっていく。
良かった頃と比べても仕方がないから、そんなものに執着しないで今あるポンコツを大事に使っていこうや。
嘆いたら、負ける。
前だけを、向いていくよ。