「良かったら見てみてEE:AE482」
最近、ピアノの演奏動画を観ることにハマっているという友人が、1つの動画を送ってくれたのだ。
「漁師さんが弾くカンパネラ」(笑)
感動したというその動画は、テレビ番組のようである。
単なる演奏動画ではなく、この人がなぜ、どのようにしてこのカンパネラを弾くことになったのか。
ドラマ仕立てでストーリーを追う。
52歳。趣味、パチンコ。
それがある日たまたまテレビでフジコヘミングの弾く「ラ・カンパネラ」を見て感動、自分も弾きたいということになるのだ。
超絶難易度の高いこの曲、音大出身の奥さんは「絶対無理、絶対」と言い切ったので一念発起、一日7時間にも及ぶ猛練習の日々が始まるのである。
そして7年後には弾けるようになり、そこで、まぁ番組の力だが、憧れのフジコヘミングに会って演奏を聴いてもらうことができたのだ。泣いていた。
単純に凄いなぁという思いもあるが、印象的だったのは「歳をとっても夢は叶う」という言葉であった。
52歳、私と同い年だ。
まだまだ夢は見れる。
何だか私も何か夢を追いたくなってきた。
そこで音楽は浮かんでは来なかった。なまじっか片足突っ込んでいるだけに、先に待ち受けていることが想像できるのである。
練習だ。ひたすら練習だ。
もちろんそれは相応に応えてくれるだろうが、その先にあるのは「弾ける」という喜びだけである。
今更ピアニストになりたいとまでは思わないし、弾ける以上の望みがない。歌も然り。
それなら新しいことを。
やりたいことは、ある。あるものを作りたい。
それにはやはり、技術が必要である。そのためには時間と材料が必要だ。
全く未知の領域なのだ、モノになるまでには膨大な時間と材料費がかかることだろう。
そもそも私はゲームだってやりたいし、欲のない程度の音楽活動はしていきたい。
それ以前に、やらなくてはならないことというものが、日常にしっかり組み込まれているである。
ここにこれ以上、どうやって新しいものを入れるのか。
本気でやりたいなら、多くのものを手放してそれに注力しなくてはならないだろう。
極論を言えば、夢を追うよりゲームをやっている方がいいということである。
ほとほと自分の小ささに呆れる。
しかしだ、小さな時間を作り出すことはできる。
継続は、力なり。
小さな夢をみることにした。
まずは好きな曲を一曲、弾けるようになりたいなEE:AEACD