犬が我が家に来て、そろそろ一ヶ月。
ある程度予想はしていたが、忙しくなった。
つくづく実感する。猫の世話は楽である。放っておいても勝手にやってくれるのだ。
お互いに干渉せず、欲した時だけすり寄っていく関係だ。ドライだが、面倒がない。
しかし犬には、「散歩」というノルマがある。準備から犬ウエアを脱ぐところまで、1時間程度かかっている。一日2回なので、約2時間だ。
それでも犬は、全身で大喜びしてくれるのだ。期待には沿うよう努力してくれるし、精神的な成長というものが分かりやすく見て取れる楽しみもある。
なので「仕事」という程の苦痛はないのが救いだ。
しかし2時間は正直、イタイ。
時間の使い方が下手なくせに、予定通りに物事が進められないことがストレスになる性格なのだ。ただでさえやるべきことがこなせないでいる中での2時間を持っていかれるのは、非常に厳しい。
なので一時的に、「朝、一日のスケジュールを組む」ということをやめて、思いつくがままに過ごすようにしている。
自由だ。
スケジュールに縛られずに済むというのは、こんなにも抑圧感がないものなのか。
やらなきゃならないことがあるには変わりがないが、それらが待ち構えているような圧迫感がない。
私は思いつくがまま手当たり次第に、いわゆる家事タスクをこなしていった。
自由だ。・・・しかし、何なんだろう、この不安定な感じは。
目に付いたことを、とにかくやっていく。しかし見渡せば、目に付くものばかりである。
こっちをやっている間にあれが気になり、あれに手を付ければこっちを忘れ、こっちに戻る間にまた別のそれが気になって来る。
カオスだ。
スケジュール化という統制がなくなり、様々な「やるべきこと」が革命の如く噴き出したのである。
しかし止まる訳にはいかない。
カオスに飲まれ、もはや私はロボットのようにただ動いていた。動いていれば、進むのだ。もう何がどうなど、さっぱり分からん。動いて進めるのみである。
やはり自由とは、自分をちゃんとコントロールできる人間が手にするべきなのだろう。
私は「時間がない」という現実から逃げたかった。しかし逃げたところで時間がない現実は変わらないのである。
そろそろまた、朝のスケジュール習慣を取り戻すとするかな・・・。