気分が落ちると、つい読んでしまう「占い」。救いが欲しいのである。
「今あなたは困難な局面にあり」、「しかしこうすれば打開できます」というアドバイス。
困難な局面にあることを言い当てられ、その上打開する方法まで教えてくれる、そんなことを期待して開くのだが、そんな展開になった試しがない。
時にはかなりキツい状況のこともあったというのに、それすら大まかに言い当てるぐらいもできないのである。
「今は想像力を充電する時」だとか、「人の言葉を吸収出来る時なので大いに生かせ」だとか、曖昧で、どうとでも取れる言い方なのだ。当たるも外れるもない。占いなんて、いい加減なものだ。こっちの方で、当たっているような解釈をしているだけではないか。踊らされている。
それでも、弱るとついまた読んでしまうのだ。すがりたい気持ち。今度こそ、救われたい。
しか占いは、いつでも、あくまでも、曖昧であった。
中立で、ニュートラル。決定打を言わずに、アドバイスだけはするという。
そんな日が続き、ストレスがたまり、ますます落ちていくという悪循環にいたのだ。
占いも、良く読んだ。
それによるとその週の私は冴えていて、人に指示を出せばみんなついてくるよ!という絶好調。
これまでの頑張りが返って来る時。周りは恩返しをしたいのだから、どんどん頼って!ですと。
・・・・・・・・・。どんどん頼って。
疲れていたのだ。そこで私は、娘に犬の散歩を代わってもらうことにした。
犬の散歩はちゃんと一日の予定の中に組み込んであり、時間はあった。ただ、それは最初から「動かせない予定」としていたからであり、忙しいことには違いはない。言い方を変えれば、こんな予定があるから余計に忙しくなっている、とも言える。
やってできないことじゃないからやるつもりでいたが、よし、娘ぶー子に恩返しのチャンスをやろう。
助かった。
本当に助かった。
肉体的労力が減ったこともあるが、「やらなくては」という重圧がなくなったことは大きい。散歩を免れたと思うだけで、晴れ晴れとした。
気が付いたが、私は人に頼るのが下手だ。自分でやれることは、無理をしてでもやろうとしてしまう。それが自分の首を絞める。
もっと人を頼ってもいいのか。
そんなことに、気づかされた。
占いは、預言ではない。もしかしたら、気づきの手助けをするものなのかもしれない。
そういう意味で「当たる」「外れる」という言い方はそぐわない。
占いは、背中を押してくれる。
「今こんなこんな時だからこうしてみよう」、それは必ずしもピンポイントではなく、誰にでもあてはまることかもしれない。
それでも、その言葉で一歩進めれば、何かが変わる。そんな手助けをしてくれるのが、占いなのかもしれない。
今週の蠍座は、「枠を壊していく時」。面白ければOKのやっちまえ精神を発揮せよとのことだ。
何だか面白そうじゃないか。
やっちまうか??(笑)