思い返せば、本当に酷いものであった。
私が娘ぶー子を産んだのは22になる直前。
若かったのもあり、もともと放蕩性質だったのもあり、ずいぶん自分の都合で振り回して育ててしまったものだ。
ぶー子自身はそんな中で育ち、他を知らないので疑問に思うことはそれほどなかったようだが。
今になって、責任を感じる。真っ当な生活とは、そんなものではない。
やがて私は精神不安定となり、子育ては精神的ネグレクトとなっていった。
生きているので精一杯、そんなことを周りに悟られないことに必死であり、そのしわ寄せは家庭内の一番弱いものに向かったのである。
子供はけなげだ。そんな母親を、守ろうとする。
ぶー子は、いい子だった。いい子でいようと頑張っていた。
手紙もたくさんくれた。お母さん、元気出して。お母さん、疲れてませんか。お母さん、つらい時はこれを読んでね。
ごめんね、ぶー子。あの頃ちょっと病んでいて、おかん、頑張れなかった。「今だけ」、「元気になるまで」って、先延ばしにしてた。いっぱいいっぱいだったんだ。
ある日そんな風に言うと、ぶー子は「ハハハ・・・。」と力なく笑って俯き、ポロポロとたくさん涙をこぼした。
仮面の中の、本当のぶー子。
自分のしてきたことの、取り返しのつかない大きさ。それは今も私の心の中に、刺さっている。
忘れては、いけないことだ。
「あのね?そんなに悔やまれると、私の過去を否定されてるような気持ちになるよ。おかんが思ってるほど、悲惨じゃなかったよ。これはこれでいい、私はそう思ってる。」
謝れば謝るほど、今度はそれがぶー子を傷つけた。
親が弱いと、子供は強くなる。ならざるを得ないのだ。
不憫だが、これを不憫と言ったら余計不憫なのだろう。
実際、ぶー子は強くなってしまったのだ。その強さを信じて、今のぶー子に精一杯できることをするしかない。
それが私の贖罪だ。