締め切り当日。
もう頭を悩ませるのはやめることにした。
生みの苦しみ。
本来喜びであったり楽しみであったりすべき「創作」が、もはや苦しみにしかなっていないのだ。
半年近く続けた投稿だったが、もう止めてしまえEE:AEB30
恥ずかしながら告白すると、実は雑誌の短歌コーナーに毎月投稿していたのだ。
とある月刊誌の募集で、毎月15首ほどが選ばれて紙面で発表されていた。
父にこき下ろされもうすっかりモチベーションは下がっていたのだが、このまますごすごと引っ込むのも何だか悔しくもあった。
と言うのも、父が私に見せた歌はどれも難解で面白みもなく、「こんなもんじゃねーだろ」という反発心があったのだ。
私が覆してやる、ぐらいな高飛車な気持もあった。
父が気に入らなくとも、それだけではない別の世界があるということを、知らしめたくなったのである。
もっと分かりやすく、共感できるもの。
分かりにくくて共感もできないなんて、ただの自己満足ではないのか。なぜ、短歌のハードルは高いのか。短歌はインテリだけに許される娯楽なのか。
私はネットで短歌を読み漁った。
すると、何もそんな難解なものばかりではなく、中には私ごときが読んでも面白いと感じるものもたくさんあったのだ。
そんな中で見つけた某雑誌の短歌のコーナーは、ティーンエイジャーから中年までの広い年代の投稿から成り立っていて、とても個性的で読み応えのあるものが揃っていたのだ。
私の挑戦は、ここから始まるはずであった。
しかし毎月締め切りが近くなると、どうにも言葉が浮かんでこないで苦悩の日々となる。
募集は、テーマが決まっているものと自由詠との2種があり、一応両方、1首ずつ出すようにしていた。
自由詠はストックから出していたので問題ないが、テーマが決まっているとそれが縛りになって、とても難しいのだ。
考え出す苦痛は締め切りが近くなるにつれ苦行になり、なんでこんな思いをしなくてはならないのだ、という気持ちになって来る。
だったら止めちまえ、と思えば、何だか負けるような感じがしてしまう。
曲がりなりにも半年続けた努力も、無駄になる。
何かを成し遂げるには、諦めず、負けずに努力を積み重ねていかなくてはならない。
自分との戦いだ。私は負けるのか?
本屋へ行き、その雑誌を手に取り、そのコーナーを開く。
また今月も、かすりもしなかった。
選ばれた作品の、その見事なこと。グーの音も出ないとはこのことよ。
どだいセンスもない、そもそも資質から違っているのだと思わずにはいられなかった。
まるで風車に挑むドン・キホーテだ。お門違いな挑戦であった。ここまで来ると、滑稽ですらある。
私は負けたのだ。
締め切り当日のギリギリまで葛藤はあったが、変な呪縛から解かれてスッキリした。
もうあの「生みの苦しみ」を味わわなくていいのだ。
しかしあの、生んだ後の喜びも同時に失った。
そして私の中の可能性が、またひとつ消えたのである。
あの雑誌を開くのは、次回で最後だ。
ガッカリするのも最後である(笑)
精神衛生上、これで良かったのだ。
短い挑戦であった。
負けた。