ない。
ないないないEE:AEB30
ヤバいヤバいヤバい、打ち合わせはもう数日後に迫っている。「ない」じゃすまされないのだ。
練習することを考えれば、今日中に譜面に起こさなくてはならない。
クラシックのアレンジである。新しい試みとは、このことだ。クラシックアレンジのユニットを結成したのである。
ずっと以前から、やりたいと思っていた。
それでもなかなか、クラシックが好きで楽譜が読め、気が合う人に出会えなかった。
そこへやっと出会えたのではない。前から「やりたい」と呟いていた相手が、突然動いてくれたのであった。
ギター×2+キーボードの3人編成だ。今後曲によっては他のパートを誰かにお願いすることはあるかもしれない。
とりえず今回は初めてであること、静かな演奏にしたかったこともあり、3人でやってみることにしたのだ。
さしあたってひとり1曲ずつ、アレンジして持ち寄ることになった。その日が迫っていたのだ。
ところがないのである。アレンジの原案のメモが。
そもそもメモ帳の殴り書きである。その後の管理も悪くはなろうぞ。
でもいつも使っているメモ帳だ、なくなることはないと安心して殴り書いてそのままにしてあったのであった。
おかしい。確かにさっきまではあった。さっき見たではないか。
確か、テーブルの上だった。
それが、どこにもないのである。
いや、ここに固執してはいけない。探し物に先入観は禁物である。
私はテーブル以外にもキッチン、リビング、部屋を出て寝室までありとあらゆる場所を探した。
それでもないのである。
さっき確かに見たのだ。絶対に、この家の中のどこかにあるはずだ。
くまなく探した。何度も探した。あり得ない場所も探した。
それでもそれは、出てこなかった。
私は途方に暮れた。
まぁモノはメモだ。誰かに渡さなきゃならないなど、なくて困るものではない。
しかしあれがないとなると、もう一度原曲を頭の中でアレンジするところから始めるか、思い出すかしなくてはならないということだ。
失ったものほど、惜しくなるのはなぜなのだろう。
「アレ」が良かった、「アレ」が最高のアレンジのような気がしてならない。
何が何でも探し出してやる。
私は寝転んで(本腰を入れる体勢である)、スマホを手にした。「探し物が見つかる方法」を検索。
・・・なんか、どこかで見たことがあるサイトばかりだぞ。
探し物が見つからない度に、検索しているからだ(笑)
そして結局ここへたどり着く。
ハサミ様。
今や絶大な信頼を寄せているが、私はどこかで恐れていた。いつか効力がなくなることを。
途端にこれまでの功績も、単なる偶然だと思うようになることだろう。
私はハサミ様を信じていたいのだ。だから、できることなら見つかったという実績のまま、とどめておきたいのである。
むやみやたらに呼び出していては、いつか「出てこない」という事態になるかもしれない。
だから私は、本当に困った時だけ、お願いするようにしていたのだ。
ハサミ様というのは、一種のおまじないになるのだろうか。
耳元でハサミをチョキチョキ鳴らしながら、「ハサミ様、ハサミ様、〇〇はどこにあるのでしょうか」と問いつつ、探し回るのだ。
私は過去に3回、やってみたことがある。
3回中2回は、思いもよらない場所からちゃんと出てきた。(詳しくは1回目。2回目。茶文字をクリック。)
3回目は見つからなかったが、これは未だに行方不明だ。状況から言っても、外で落として来たと思われる。不可抗力だ。ハサミ様への信頼は、変わっていない。
どれ。
私はいつものハサミを手にして、一度胸に当てて深く願い、チョキチョキと鳴らしながら問いつつ、闇雲に探し始めた。
信頼を寄せていると言っても、もう探せる場所は探しつくしたのである。そういう意味では「あるわけない」という気持であった。
やはり時間はかかったが、それはちゃんと見つかったのだ。
旅行に出ている間が心配だったので、現金の入った封筒をある場所に隠したのだ。
その封筒の下に入っていた。
そうだ、この封筒はテーブルに置いてあった。その時に、メモ帳の上になっていたのだろう。一緒に持ち出してしまったようだ。
今回も、本当に驚いた。私はもはやこれは、何かスピリチュアルな力が働いているんじゃないかと思っている。
ハサミ様が忙しくなっちゃうから、些細なことで呼び出さないようにということだ。
本当に困った時だけに。
約束する。