亀戸から舞浜まで歩いたのは、まだ1週間前のことか。
ずいぶん経った気がしていたが、この頃忙しいので感覚がおかしくなっている。
あの時、歩きながら、思い出したこと。を、思い出したのだ。
舞浜が近くなって来て、「浦安」という言葉が浮かんできた。
そういえば、浦安に引っ越した宮内さんはどうしてるんだろう。
宮内さん。
私が小学生の頃、母の知り合いに宮内さんという人がいたのだ。
私と同い年の女の子がいて、学区は違っても比較的近い場所に住んでいたので、時々母と遊びに行ったことがあった。
そして私が小学校4年生の時に、猫を譲り受けたのである。
宮内さんの家には当時2匹の猫がいて、浦安に引っ越す機会に、後から拾って来た子の方を誰かに譲りたいと考えていたそうだ。
もしかしたら、一軒家に引っ越したばかりだった我が家にどうか、と持ち掛けたのかもしれない。
こうして「ミーちゃん」がうちの家族となったのだが、程なくして宮内さんは浦安に引っ越し、その後一度泊りに行ったきり、私は付き合いがなくなってしまった。
母はどうしたかは分からない。
その後何度か名前は聞いたかもしれないが、少なくとも晩年にはもう、付き合いはなくなっていたと思う。
そんな宮内さんのことを、舞浜に向かいながら思い出したのであった。
宮内さんは、母の死を知らないだろう。
譲り受けたミーちゃんも、とっくに死んでしまった。
母の、ミーちゃんの死が知られることがない事実に、悲しくなった。
人の一生なんて、儚いものだ。
家族である私ですら、母の人生のほんの一部しか知らない。
死んでしまったら、あとは風化していくだけなのだ。
その「死」すら知られぬままに風化していく存在。
そもそも宮内さんだって、今どうしているのだろうか。
それを知る術はない。
どなたか、母の死を伝えてくれませんか。
浦安の、宮内さん。
分かるのは、それだけである。