外国のお医者さんだったと思うんだが。
その人は医師として働くようになり、患者に事実を告知しないことに疑問を抱くようになるのだ。
言わなくとも、患者自身は薄々気づいている。
しかし誰もが隠す。
自分のことなのに、自分だけが蚊帳の外なのである。
疎外感を感じながら事実を知るとっかかりもなく、時に患者は憤る。
それでもごまかして逃げることに、医師は罪悪感を感じるようになったのだ。
ずっとモヤモヤしていたところ、救急で交通事故にあった人が運ばれてくるのだ。
どうみても、助からない。
患者は、医師に問う。「自分はもう死ぬのですか。」
医師は迷ったが、ついにこう答えた。「気の毒だが、恐らくそうだ。」
その時の患者の、悟ったような表情。
医師は、「死を隠すべきではない」と確信した。
それからは、患者が希望すればあるがままを告知するような終末期のケアを、模索していくのだ。
病室で死を感じながら、嘘に固められた日常を過ごすのはどんな気持ちだろう。
最期の日々なのに、家族も、病院も、通じ合えないのである。
母が死んで、もうすぐ3年になる。
母の入院は10日ほどになったが、日に日に辛そうな時間が長くなっていった。
鎮静の点滴はだんだん効かなくなり、苦しそうな時間が増えてくる。
もう楽にしてあげられるのは、モルヒネしかなかった。
これを打てば楽にはなるが、もう意識は戻らず、そのまま息を引き取るだろうという最後の薬だ。
私達は、悩んだ。
モルヒネは母を楽にはするが、母を殺すのである。
しかしここで殺さずとも、もうすぐ母は死ぬのだ。ならもう、この苦しみから解放してあげるべきではないのか。
ついに私達は、決意した。それが9日目の夜だ。
モルヒネが効いてくると、母は眠ったように静かになった。
もう二度と起きることのない母に看護師さんが、「また明日ね。」と声をかけてくれたのを覚えている。
翌日、母は静かなまま逝った。
先の医師の話を読んだ時に、自分のこの選択は間違っていたような気持になってきたのだ。
母は、苦しんでいた時には意識もしっかりしていた。逆に、意識がしっかりしていたから苦しかったのではないかと思う。
お母さん、辛いですか。
もう帰ってこられなくなるけど、薬で楽になりたいですか?
そう聞いてあげるべきだったのではないか。
この世を去る時の気持ちは、今を生きる私達には思いも及ばないだろう。
苦しくても、もう少しここにいたいと思ったかもしれない。
もう少しこの空気を感じていたかったかも、もう少し私達の顔を見ていたかったかも、もう少し手の温もりを感じていたかったかも、もう少しバッハを聴いていたかったかもしれない。
それとも、もう混沌として辛いばかりで早く送り出して欲しかったかもしれない。
母にしか、分からないことなのだ。
それとも、死を突き付けることは残酷なことなのか。
母にしか、分からないことだったのだ。
別れの言葉もないままに、去っていった母。
母の人生の最後のページを、切り取ってしまったような気持ちだ。
あれから3年。
今年もまた、ハナミズキが咲き始めている。