母の事を忘れたくなくて、意識的に思い出してしまう。
それは遠い昔の思い出ではなく、最期の10日間だ。
なぜ、一番辛かったあの10日間を思い出そうとしてしまうのか。
それはそこに、一番美しく尊い時間があったからかもしれない。
絶縁状態にあった間は、別にこのまま会えずに死んでしまってもいいと思っていた。
父にも母にも大きなわだかまりがあったし、これは自衛でも仕返しでもあった。
やがて来るだろう死を想定しても、悲しくはなかった。
つくづくそんな家族だよな、と冷めた気持ちでいた。
もしあの時、母との再会が母の死後だったらどうなっていただろう。
私はこんなに悲しく辛い気持ちにはならなかっただろう。
生きていた母が死んでいる、ということに多少はショックを受けただろうが、恐らくかなり冷静にそれを受け入れただろうと思う。
そして、そんな私を父と兄はどう見るだろうか。
あの壮絶な10日間を二人だけで乗り越えただろう父と兄が、その10日間を知らずにすべて終わってからノコノコ現れた私を見てどう思うだろうか。
これを決定打に、完全な溝ができるだろう。
そして私も「想定内」と、しただろう。
もしかしたら、葬儀にすら出られなかったかもしれない。
今、死によって、過去のどんなわだかまりも全て吹き飛んでしまった。
不思議と同じことを思い出しても、そこに恨みや嫌悪のような負の感情が湧いてこないのである。
父に対してはどうだろうか。まだそこまではリセットできない。
「死」は、負の感情を浄化するのかもしれない。
母は死をもって、負の過去を浄化したのだ。
それには、あの最後の10日間が作用したことだろう。
母はもうほとんど喋れなかったが、それでもその間に私はたくさんのものを受け取り、伝えることができたと思う。
だからこそ忘れたくないのが、あの10日間なのだ。
脈が止まり、動かなくなった母。
ピアノの曲に合わせてトン、トンと辛うじて動かしていた指も、もう動かない。
もう二度と、声を聞くことはない。
声を聞いてもらうこともない。
完全に、消えてしまったのだ。
「お母さん。」
私は時々、呼びかけてみる。
悲しくて、悲しくて、仕方がない。