実はこの障害について調べたのは、これが初めてではない。
比較的軽度ではないかとは思うが、恐らくADHD、私の場合は衝動性がないので厳密にはADDであることはほぼ間違いないと思っている。
不便ではあるが、日常生活にひどく支障もないので放置することにしたのだった。
しかし改めて調べていると、これは大変なのは自分ではなく、むしろ周りの方であった。
ここではADDについて書きたい訳ではないので、この話はいつか別の機会にまとめてみたいと思っている。
とにかく、改めてADD(ADHD)について調べたところ、「やらなくてはならないことを先延ばしにする」ということも特徴のひとつに挙がっていたのだ。
まぁそんなことは誰しも多少なりともあるだろうが、ここではその度合いは置いておいて、その解決法というものに注目したい。
私はADD、ADHDの方の書いたブログを、興味のある部分だけだがふたつほど読んだ。
どちらのブログにも、欠点に対する対策が載っているので、非常に有益であった。
大人ADHD月子の生き方の月子さんのブログより。
・「やらなきゃならない」という気持ちが大きいほどブレーキがかかる。
アクセルとブレーキを同時に踏んでしまう状態。
→「やりたいなぁEE:AE595」という思考に変える。
できる、楽しそうだ、終わったらスッキリするなど。
義務感を解放して、「何のためにするのか」、「したらどんないい結果になるか」と、できるだけいいイメージを作る。
→「とりあえず5分だけ」の気持ちで着手すると、やる気スイッチが入る。
俵谷龍佑さんのおれじなるより。
・重要度の高いものなどプレッシャーのかかるものほど、逃げたくなる。一度逃げると期限が迫り、ますますプレッシャーがかかる。
→重要度の高い仕事は、午前中のうちにやる。脳が疲れないうちにやっておくこと。
→「逃げグセ」は「自動充電機能」。意外と帳尻が合うように自分で動いているから、必要な時間として「逃げ」を受け入れる。
自分を信じることだそーです。
ヤバくなったらちゃんとやる、火事場の馬鹿力を信じる。
このあたりまで読んで、ふと思い当たる文章があった。
自分にとって大切であればあるほど、
真剣であればあるほど、
つい真面目に考えて、「苦行」になりがちだ。
やりたい、って始めたんだからそんなはずないのに。(そんなはずないって思える感覚を持って生きていきたい)
目標を達成する"プロセス"が楽しいんだ。
二つの視点がある。
夢 というのがテーマだとすると、
それは間違いなく少しずつ叶っている。
願っているってことは無意識に行動にも出るだろう。
一つの視点は、「夢が少しずつ叶っている」という視点、
もう一つの視点は「夢が"まだ"叶っていない」という視点。
「足るを知る」みたいな感じかな。
「今を楽しむ」というのにも近いか。
刹那的に生きる。
あした死ぬかもしれんのだ。
いまが最高にハッピーでありたい。
そんで生き長らえたぶんだけ、更に前へ進める。
ラッキー、みたいな。
ここで、3つのブログの言葉がしっくりとシンクロした。
もう考え過ぎるのはやめる。
楽しいことを楽しくできる時に、楽しくやる。
そうじゃないものは、午前中に、5分だけ、から始めてみる。
出来る自分をイメージする。
という訳で、早速コピーの途中でブログの下書きに脱線しているのだ(笑)
しかし気分は楽だ。
やり切れると信じる。