人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

日本人

やっとポールのライブの話を書き終えて肩の荷が下りたが、それに付随する話をして、本当の終わりにしたい。

大きなライブ(この場合はコンサートと言った方がいいのか。クラシックな響きなのでこの言い方は控えているのだが。)に行くと、盛り上がりながらも戸惑う自分に気づくことがある。

日本人ならではの戸惑いであろう。

自分が浮いていないか、気になってしまうのである。

ある曲では、手拍子をする。

私はだいたい手拍子を入れる時、2拍目と4拍目に入れるいわゆる「裏打ち」になっている。

昨日の隣のカップルは、それとは逆の表で打っていたのだ。

それに気づいた瞬間、まず「ヤバい」と思う。

この時思うのは、「自分が正しいのか」ではなく、「大多数はどうしているか」である。

この時私が見えた範囲では、たまたま裏打ちがしている人が多かったので私は安心してそれを貫いた。

また、静かな曲になってみんなが手拍子を止めてしまう。

自分は手拍子を入れ始めてしまった。この時のバツの悪さもたまらない。

似たようなところで、サビで誰かが拳を上げる。

触発されて、みんなが上げる。

しかしそのうちその数が減る。こんな時も非常に焦る。止め時が分からないのである。

例えばキメどころに、「この曲、良く知ってます」的なオリジナリティのあるノリをしてしまう。

誰もやらない。

これも、止め時に困るパターンだ。

つまり、典型的な日本人的思考なのである。人と同じでないと、不安になるという。

バカバカしいことは承知だ。しかし私は日本人なのである。握手をしないでお辞儀をしてしまうのと、同じ現象なのである。

こんな事を気にしながら盛り上がるので、結構気を使う。

ペンライトを左右に振った時は、私とダンナだけ逆になっていたのでわざわざ「せーの」で修正した。

はるか前方を見ると、逆もたくさんいるのだが。

本当はもっと手を振り上げたい、本当はもっと声を上げたい。

そんな思いと戦いながら、「平均的」になるようにコントロールする。

可哀想な私EE:AEB64

可哀想なポールEE:AEB64

今回は会場に入る前に、ワインを1本空けてきたのだ。

それにより、「好きなようにノらなくては損だ、周りを気にせずに自由にやろう」という気持ちにはなっていた。それでも、日本人の血が勝ってしまったのである。

我を忘れてノリまくってる人や、おかしなノリになってる人を見つけてしまうと、やっぱり「なんだアイツ(笑)」と思ってしまうし、ああはなりたくないと思う。

後になって「すごいのいたね。」なんて、笑い種にする事だってある。どうかすると折に触れて思い出し、しまいには伝説みたいになってしまう。

本能的に、そういう事態を避けようとしてしまうのである。意識だけではどうにもならない。

そんなノリ方をしていたので「もったいない」という気持ちがあり、時々「Hoo!」という奇声を上げてみたりした。

それで気づいたのだが、曲が途切れている間には、ワーッという歓声が会場を覆っていた。

しかし「ワー」などと言っている人はいない。

そうか、「Hoo!」が大量に時間差で発せされて、ひとつの「ワー」になっているのである。

私のたったひとつの「Hoo!」ではポールに届かないが、みんなの「Hoo!」と合わさることによって大きな「ワー」となり、ポールに届くのである。

また、音のスピードによる時間差も、歓声をエコーのように響かせて感動的であった。

例えば曲が終わった時の「ワッ」という歓声は、前方から後方へ広がっていく。

みんなで歌った曲は、天然のエコーがかかっていた。

こんな壮大なものを独り占めできるポールは、幸せものである。

結構シャイなぽ子であるが、Pでは気違いみたいになってノリまくっている。

多くは酒の力だが、もう早い段階で最低ラインを出してしまったので、怖いものナシなのである。

もし東京ドームの客が全員Pの馴染みの顔ぶれだったら、私は躊躇せずに狂っていただろう。

大きなライブとは、毎回違うメンバーが客となってやってくるという意味である。毎回、初めて会う人なのである。

だったら逆の発想で「恥のかき捨て」にすればいいのだが、こういうところが日本人なのである。

昔通ったディスコでは、多くの踊りを知っていることがステイタスになった。

踊りや掛け声は曲によって違い、使い回しはできない。

どんなに踊りが上手くても、決まったステップじゃないとむしろカッコ悪いのである。

私は「オリジナル」を創り出す先駆者にはなれないから、決まったステップを歓迎した。覚えればいいのである。

こう考えると、素になってイッてるPでは、私は日本人以前の、人間以前の、もはや「動物」である。

本能のままに動き、本能のままに叫ぶ。

しかしこれが、どれだけ自分を解放してくれているのか、私は知っている。だから私はまた向かうのである。

酒が、音楽が、私を挑発する。

遠慮するな。

まだ出せる。

嘘をつくなと。

嘘ついてごめんね、ポール。

今度Pに来てください。