あれはもう6年以上前の話になる。
俺たちは待っていた。
みんな待っていた。
広い店内にズラリと並べられ、新しい家族に迎えられるのを。
俺たちはみんな親の顔を知らない。
適当にたらい回しにされ、気がついたら出来上がっていた、そんな生まれだ。
だからみんな、新しい家族には大きな夢を描いていた。
栃木のだだっ広い工場で、寒い季節だった。
こう言うのも何だが、俺は結構いい男だと思う。
カゴはきっちり四角く、茶色いサドルにはわざと大きな鋲を打ってある。
色は黒、中心のパイプ部分は曲線を描いている。
俺は店内でもひときわ高いところに飾られていた。
ちょっといい値段がついていたからなかなか声がかからなかったが、みんな俺を欲しそうに見ていたさ。
きっといい家に迎えられる、そんな予感がしていた。
「お母さん、これがいい!」
中学生ぐらいの女の子だった。
しみったれたババァが「こっちにしなさい」とか何とか言って、その日の特売品を買わせようとしやがったが、「どうしてもこれがいい、大事にするから!」と今度は気の弱そうなオヤジの方に掛け合ってくれたから、俺はその家に行くことになったんだ。
俺の体には「ぶー子」と書き込まれた。
ご主人ぶー子は本当に俺を大事にしてくれた。
どこに行くにも連れて行ってくれたし、高校に入ったら毎日遊んでくれるようになった。
毎日ギャルのケツを乗せて、俺は幸せだった。
最後のネジが取れるまで、コイツに仕える。俺は誓ったのさ。
ところが不幸は突然訪れた。
その日ぶー子は俺を連れて駅前まで行った。
いけ好かないヤローがふたり。俺は嫌な予感がした。
ぶー子は俺を置いてそいつらとどこかの店に消えたが、何時間経っても迎えに来やしない。
終電もなくなって、駅前は閑散としてきた。
まずい、早く来てくれ。
やがて大きなトラックが俺の前に現れ、ここらにいた仲間と一緒に俺はその荷台に詰め込まれてしまった。
「野チャリ狩り」と呼ばれ、恐れられていたアレらしい。
待てよ、俺には家族がいる!!
そこの捨てられたボロとは違うんだ!!
墓場のように静かな場所だった。
仲間がズラリと並べられていたが、奥に行く程荒んでいる。
中には死んでるヤツもいた。
俺もああなるのか?
1週間の間に周りから次々と仲間が姿を消して行った。
「期限は1ヶ月。この間に迎えに来なかったらここで死ぬんだ。」
遠くで話している声がした。
ぶー子、早く来てくれ、市からハガキが来てるだろう?
しかしぶー子は来なかった。
何ヶ月経っただろうか。
俺はもうずいぶん端に追いやられてしまった。
ここは死臭がする。
なぜぶー子は来ないんだ。
少しずつ移動するうちに気付いたが、ここはぶー子の学校のすぐ近くだった。
夏はすっかり終わり枯葉が舞い落ちる頃、俺は大変なものを目にしてしまった。
ぶー子が新しい自転車に乗って、目の前の道路を走っていたのだ。
俺は・・・、捨てられたのか・・・。
いつものように別れたじゃないか。
あれが最後の別れだったのか?
それから俺はどんどん弱っていき、体のあちこちからサビを出した。
もういい、俺はここで朽ちるのだ。
冷たい雨が降る。
朦朧とした意識の中で、ある日俺に久しぶりの感触が蘇った。
サドルに温かい重み、ハンドルに加えられる握力。
このケツ、紛れもなくぶー子である。
そうさ、俺はお前のケツしか知らねぇ。
ぶー子、お前、遅いぜ・・・。不覚にも涙が落ちる。
しかし着いた先は、スーパーの駐輪場だった。
しかもここでも放置プレイだ。
ハンドルには「警告」と印刷された紙が巻かれ、俺のサビもみるみる増えていった。
時々野チャリ狩りのトラックが駅に向かうのが見え震え上がったが、やつらも来ない代わりにぶー子も来なかった。
初めて俺は死にたいと思った。
いつ現れるのかもわからないケツを待って朽ちていくなら、いっそひと思いに死んでしまいたい。
できれば俺の家の駐車場で、あぁもうあれは俺の家じゃないのか。
クソッ、クソッ・・・。
ベリベリッという音で我に返った。
警告の紙をはがしたのはぶー子ではなかったが、見覚えのある男である。
あっ、お前、ぶー子の・・・。
「やっと帰ってきたねぇ。」
やいババァ、何がやっとだ、お前の娘が来なかったんじゃねえか(泣)
ぶー子は新しいチャリに乗っていたが、オヤジが俺にまたがって言った。
「これは俺がもらうから。」
おう、もう若い女はこりごりだ。
男同士の友情を大事にするぜ。
ぶー子とオヤジとババァと、3人3台で並んで家路に向かった。
みんなの笑い声がある。
帰る家がある。
オヤジのケツが温かかった。